モグラ談

40代のリベラルアーツ

【美】平山郁夫展(成川美術館:2021/4/8)

作品情報

【概要・雑感】

  • 春の箱根。恩賜公園でマメザクラとホトトギス、杉並木をとおって成川へ。平山郁夫の収蔵作品を一挙公開。春草、御舟につらなる代表的日本画家。藝大学長、美術院理事長、ユネスコ親善大使等々、活動の人でもある。日本画を、“東洋画をルーツとした世界画”に高めた画家との評。
  • 中国、インド、シルクロードとそれまでになかったテーマ・題材の新しさ。アジアは一つと捉えた天心を引き継ぐ。“独特な黄土、にじみだす輪郭、悠久と幻想“といった印象をもっていたが、黄土に加え、群青、緑青にも独特な世界。
  • 黄土と緑青の対比と大画面の迫力が包む“敦煌三危”、悠久そのものを感じさせる“ガンジスの夕”、自然に生きる生命力にひきつけられる“オリエントの曙”。
  • 同時開催で、平岩洋彦、齋正機の作品を展示。平岩氏が描く波形、光を感じさせる空気感。調和に満ちた風景画に感動。自然に感応した情景。好きな作家がまた一人。
  • 収蔵名作展では、加山又造の猫、堀文子のトスカーナの花野。1年振りの再観。
  • 翌日は、岡田美術館で“東西の日本画-大観・春草・松園など-“。はじめての訪館。静謐でシックな美術館。大橋翠石の”虎図屏風“の写実に感嘆。陶磁器が充実。豆知識もついた。
    • 技法:
      • 釉下彩→器物の表面に文様を描き、透明な釉薬をかけて焼く(染付・青花)
      • 釉上彩→釉薬をかけて一度焼いた器物の上に文様を描き、再度焼く(色絵・五彩)
    • 名称は、技法→文様→器形の順(例:青花花唐草文碗、色絵赤玉雲龍文鉢)
    • 陶器と磁器の違いは日中で異なる
      • 日本:原料(粘土/石)、温度(1100-1200℃/1300℃)、吸水性(有/無)
      • 中国:釉薬の有無 

【美】狩野派と土佐派 幕府・宮廷の絵師たち(根津美術館:2021/3/26)

作品情報

【概要・雑感】

  • 年度末、一息ついたので、仕事帰りにぶらり。はじめての根津美術館。落ち着ける庭園、美しい建築。豊かな時間、空間を感じられる都心の美術館。那智の滝図と燕子花図屏風を所蔵。
  • ともに室町に始祖を持つ狩野派、土佐派。所蔵の両派作品を中心に、“御絵師”の作品を展示。音声ガイドはとても豊かな表現で、目でも耳でも満喫できる。
  • 長期繁栄の共通項。時代の変化を捉えたこと(絢爛の永徳から安定の探幽)、中興の祖の存在(永徳、光起)、他流の技術を学び・取り入れたこと。
  • 御絵師の仕事は多岐にわたる。鑑定業務は狩野派の発展を支えた。収益源であるとともに、多くの絵を見る機会を得、技術を盗めた。一方で、その安寧が新しさを生み出す土壌を弱めた。
  • 絵師の力量として、古画の習得が求められたとのこと。中国の影響を改めて感じた。
  • お伽草子絵巻2作品の展示が同時開催。人は本性として物語が好きなことを感じ、稚拙な絵にもほほえましさを感じた。

 

【もう1冊】

 

【美】20世紀のポスター[図像と文字の風景](東京都庭園美術館:2021/2/27)

書籍情報

【概要・雑感】

  • 目黒川沿いを散歩しながら美術館巡り。郷さくら美術館→目黒区美術館庭園美術館。桜は芽がほのかに心を開きはじめたかな、という丸み。とても気持ちいい1日。
  • 郷さくら美術館は、昭和から現代の日本画を展示。こぶりな建物、清潔な館内、ところせましと作品が並ぶ。訪館時は、「ベストセクレクション展 絶景への旅」を開催。世界の絶景、桜と絶景、雪と絶景。花弁の色の多様さ、夜桜、幻想、無常の象徴。静謐、無音、冷気、呼吸と心拍、それらが音として聞こえてくる雪の世界。
  • 目黒区美術館では、「前田利為 春雨に真珠をみた人」。加賀前田家16代当主利為のコレクションを展示。明治天皇行幸を本邸に迎えるにあたり購入した西洋絵画などを展示。
  • 庭園美術館、はじめての訪館。アール・デコ様式の朝香宮邸を引き継ぎ1983年に開館。庭園に囲まれた美しい洋館。展覧会のサブタイトルは“ビジュアルコミュニケーションは可能か?”。
  • 1910年頃生まれた構成主義が、ビジュアルデザインの世界で、“図像と文字を幾何学的・ 抽象的な融和のもとに構成しようとする特徴的な表現様式”を生み出したらしい。なにか絶対的なものが客体としてあるのではなく、創り手受け手が自らの内部で構成的に表現・受容する、ということを目指したのかな、と捉えてみた。伝統的モチーフではなく、幾何学モチーフを用いることで、既存芸術から自立するとともに、当時の工業社会の機能的・経済的要請に合致した様式、というのは納得。
  • ポスターの美とはなにか。注目、刺激、色彩美はある。見ていて楽しい。感じる脳の部位が違う。

 

【もう1冊】

 

【本】チャンドラーあれこれ(春樹訳)

書籍情報

【概要・雑感】

  • ハードボイルドでも、と思いチャンドラー。村上春樹がチャンドラーから影響を受けたためか、春樹訳だからか、春樹作品を読んでいるような錯覚感多々あり、でもやはりそこはフィリップマーロウ。
  • 春樹訳は中毒性が高い。「ロング・グッドバイ」「さよなら、愛しい人」「大いなる眠り」を連読。チャンドラーを離れて、フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」も再読。
  • 孤独、執拗、ナルシズム、自由、刹那、諦観、約束。ハードボイルドのよいところ。

 

【もう1冊】

【本】難民と市民の間で -ハンナ・アレント『人間の条件』を読み直す(小玉重夫)

書籍情報

【概要・雑感】

  • 著者は、教育哲学、アメリカ教育思想、戦後日本教育思想史の専門家。本著は、ハンナ・アレントの「人間の条件」を、前著「全体主義の起源」との関係を意識しながら、現代の公共性や教育問題にひきつけて読み解く。
  • 社会と対置し、国民国家とも異なる、政治的世界としての“公共性”を示すアレントの思想は、新たな公共の模索下にある現代に注目すべきもの。アレントは、“公共性を担う市民とは誰か“について掘り下げる。それは専門家や官僚ではない、アマチュアであり、シチズンシップ教育はその素養の醸成に意義がある、というのが著者の考え。
  • ホロコーストの重要な意味は、ユダヤ人のアイデンティティなり存在の歴史を記憶から抹消しようとしたこと。アレントはこれを“忘却の穴”と呼ぶ。著者は、“全体主義を克服するためには、その存在を人々の記憶にとどめておくことが可能なような、そういう公共的な記憶の空間が要請される”と捉える。空間の設定は閉鎖性を誘う。これと折り合いをつけながら、どう公共的な記憶の空間を形成するか。専門家の言論空間に陥らない、市民参加のアマチュアリズムをどう成立させるか。
  • “社会から退きこもる自由”を積極的にとらえ、それによって同時に「市民として公共的場面で発言していくことの自由」を取り戻していく、そんな道筋を期待し、本著は終わる。
  • 印象に残ったいくつか(アレントの著書より)
    • “複数性が人間活動の条件であるというのは、私たちが人間であるという点ですべて同一でありながら、だれ一人として、過去に生きた他人、現に生きている他人、将来生きるであろう他人と、決して同一ではないからである”
    • “自由であるということは、生活の必要(必然)あるいは他人の命令に従属しないということに加えて、自分を命令する立場におかないという、二つのことを意味した。それは、支配もしなければ支配もされないといことであった”
    • “近代社会が、私的なものと公的なものの区別…を完全に捨て去れば捨て去るほど…子どもにとって事情は悪化する。子どもは、妨げられることなく成熟するために、安全な隠れ場所を本性上必要とするのである”
    • “まさに、どの子どもにもある新しく革命的なもののために、教育は保守的でなければならない。教育はこの新しさを守り、それを一つの新しいものとして古い世界に導き入れねばならない”

 

【もう1冊】

【本】1984年(ジョージ・オーエル, 高橋和久訳)

書籍情報

【概要・雑感】

  • 一度は読んでおこうと思っていたディストピアもの代表作。AI時代になにかと引き合いにだされる。図書館の予約がようやくまわってきたので読了。
  • 監視社会の様相が知られるところだが、ディストピアの本質は、権力にとって悪しき行いが管理されることではなく、思考すること自体が奪われること。そのために、記録は禁止され、歴史と報道は常時改ざんされ、語彙は不要とされる。これらが幾世代か経ることで、当然のものとして受け入れられていく。ここに至っては、“胸中の公平な観察者”は少なくともアダム・スミスの想定外の価値基準を持つだろう。
  • 一方、本書にあるほど熾烈な方法がとられずとも、あるいは意志に基づく選択として、思考を放棄する機会に恵まれた社会になってはいないか。そんなことを考えさせられる一冊。
  • 後半明らかになる黒幕が発散する“悪”の迫力は見もの。システムによる脅威より、個が発する“悪”の表現に本作のだいご味を感じた。この人物の話調に、村上春樹の登場人物が重なったのは私だけか(羊の黒服の男、ねじまきのソ連軍将校、カフカの父親)。

 

【もう1冊】

  • 幸福な監視国家・中国(梶谷懐,高口康太,2019,NHK出版)⇨ “監視社会”中国の現状を、これを受容する社会の状況や国民の心情にも着目したルポで示される。その上で、「公」と「私」の関係、「公共性」と「合理性」の関係が考察される。大切な論点が多々埋まっている良著。

【本】アダム・スミス 「道徳感情論」と「国富論」の世界(堂目卓生)

書籍情報

【概要】

年末年始は資本主義を考える近年、今年は国富論山岡洋一訳)に手を伸ばしたが、長丁場になりそうなので、まず新書を読了。

著者の堂目卓生氏は、大阪大学大学院経済学研究科の教授。紫綬褒章受賞(2019)、本書でサントリー学芸賞受賞。

本著は、規制撤廃による競争促進の根拠としてなにかと引用される「経済学の祖」アダム・スミスの「国富論」を、もう1つの名著「道徳感情論」に示された人間観・社会観に沿って読み直す。

 

【ポイント】

  • アダム・スミス(1723-1790)はスコットランド生まれ、グラスゴー大学の道徳哲学教授、辞職後、欧州内旅行、執筆活動等を経て、グラスゴー大学名誉総長に就任。67歳で逝去。ハチスンから社会秩序は人間共通の“道徳感覚”より導出されること、ヒュームから啓蒙による傲慢(安易な改革は社会秩序を崩壊させる)といった洞察を受け継いだ。
  • 時代背景に、産業革命、ルソー・ヒューム・ヴォルテールモンテスキューら啓蒙時代の思想家による人間観・社会観、国家財政の実質9割を占める戦費、アメリカの植民地独立への対処、格差と貧困の深刻化があった。
  • 道徳感情
    • 社会秩序を導く人間本性は何か、人間のどのような本来的な性質が法を作らせ、守らせるのか、を明らかにする本。スミスは、様々な感情が作用しあうことで社会秩序が形成されると考えた。“人はどんなに利己的であると想定しても他人の幸不幸に関心を持ち、他人の幸福を自分にとって必要なものと感じる”といった人間観が出発点。そのうえで他人の感情・行為の適切性を判断する心の作用を“同感”と名付ける。
    • “同感”は他人から是認されたい(否定されたくない)というメカニズムを経て、各自の心の中に感情・行為を判断する“胸中の公平な観察者”を創り出す。この観察者が自分や他人の感情・行為を判断するようになり、“一般的諸規則”を心の中に形成し、これを顧慮すべきとする感覚が生まれる。この“義務の感覚”を“人間生活における最大の重要性を持つ原理であり、それにより自分の行為を方向付けられる唯一の原則”とする。
    • 義務の感覚の制御対象に、利己心や自己愛がある。したがって、無制限の利己心が放任されるべきという考え方はスミスの思想からはでてこない。
    • “胸中の公平な観察者“は、動機と結果から判断するが、動機より結果が見えやすいため、結果を重視しがち(殺害を意図したがその前に対象者が病気で死んでしまった)。そして結果は偶然に左右されるため、称賛と非難は偶然に左右される。こうした不規則性は、むしろ個人の心の自由を保障し、過失への注意を促し、社会の利益を促進する。
    • この不規則性により、他者からの非難・称賛と、内にある胸中の公平な観察者の認識にギャップが生じた際、これに苦悩するものを“弱い人”、左右されない人を“賢人”と呼ぶ。ただし、賢人も根拠のない非難には動揺する。この点で、常時平然でいられるストア哲学の賢人とは異なる。
    • 経済を発展させるのは、“弱い人”。弱い人は最低水準の富を持っていても、より多くの富を獲得して、より幸福な人生を送ろうとする。実際は富で幸福の程度はほとんど変わらないが、この欺瞞が経済発展の原動力となる。そして、“弱い人”(例えば高慢な地主)が富を獲得すれば、彼らは“見えざる手”に導かれて余剰を分配する。
    • スミスが容認するのは、正義感によって制御された野心であり、胸中の公平な観察者が認めない競争を避けること、である。
    • 公平な観察者は国際関係においても確立しうる。共通の公平な観察者をもてることが重要で、これは相互交流によりなされ、自由貿易こそ相互交流手段となる。
  • 国富論
    • 道徳感情論の最後で、法と統治の一般原理、生活行政・公収入・軍備に関する一般原理に取り組む意志を示す。国富論は後者に位置する(前者は未達)。
    • 繁栄の一般原理は分業と資本蓄積によりなされる。スミスは、分業の効果として、社会全体の生産性向上に加え、増加生産物が社会の最下層にまで広がることを重視。
    • ただし、スミスは税による再分配は明確に支持していない。最下層の人々は最低水準の富を得るだけでなく、世間の軽蔑や無視から自由になり、独立心も獲得する必要がある。与えられるべきは”施し“でなく”仕事“であり、それができるのは政府ではなく資本家である。
    • 資本蓄積は雇用と生産の好循環を生む。そして資本家の消費が不変であれば、税は少額であるほうが(公務員や軍人などの非生産的労働にまわることなく)生産的労働にまわる。浪費が資本蓄積を遅らせる。個人の浪費は倹約志向であるが、政府の浪費にはそれがない。
    • 資本は、生産物の不可欠性、投資の安全性、人としての土地への愛着などから、農業、製造業、外国貿易の順に投資されるのが“自然のなりゆき”だが、実際は逆行しており、これを戻すことが必要と考える。
    • 市場に参加するということは、同感や、称賛を得るために人を説得したいと考える性向、交換したいと思う性向に基づく互恵的行為を行うことであり、その発想に立てば、独占の精神は生まれてこない。
    • 市場拡大で、人々は、交換手段である貨幣それ自体を富と思い込む錯覚が生まれた。重商主義は貨幣を富と錯覚することのうえに築かれた政策で、称賛されるものを称賛に値するものと錯覚する“弱い人”の経済政策である。植民地貿易によるこの政策は、特権商人の貪欲と政府の虚栄心を満たすため、なんの利益も受けない多数の国民の財産を侵す政策。国富論はこの錯覚から人々を目覚めさせ、真の豊かさをもたらす一般原理に導くことを目指す。
    • 人間は優先と抑制を正しく判断するための十分な知識を持てない。したがって優先や抑制自体を廃止するほうがよい。“自然的自由の体系”を確立し、労働と資本の使い方を所有者個人に委ねるほうがより注意深く用いられる。個人が正義の諸法を守って行動する限り、個人の行動は見えざる手に導かれて社会に最大の利益を生むであろう。
    • ただし規制緩和は徐々に緩やかになされるべき。“体系の人”(現実を十分考慮せずに信じる理想の体系に向かって急激な社会変革を目指す統治者)は悲惨な結果を招く。
  • “健康で、負債がなく、良心にやましいところのない人に対して何をつけくわえることができようか”(「道徳感情論」一部三編一章)
  • “諸個人の間の商業と同様、諸国民の間の貿易は、本来は連合と友情の絆であるはずなのに、不和と敵意の源泉となっている。”(「国富論」四編三章二節)

 

【雑感】

  • 明確な記述と論旨、適切なタイミングで挿入される要約など、とても読後感のよい一冊。寡作のスミスの二大著作のエッセンスを学べる良著。道徳感情論をスミスの基本的思想と捉え、国富論に対する現代の誤解に気づかせる構成もよい。
  • スミスはあくまで倫理・哲学者であり理論経済学者ではない、というのが新鮮な気づき。“胸中の公平な観察者”に従うことを前提とすること、最下層への分配を重視した社会政策的視点が基底になっていることもスミス理解に必要な認識。人間の本性に対する寛容で現実的なまなざしと洞察に共感。
  • この“胸中の公平な観察者”をいかに成熟させられるか、経済発展を担う“弱い人”がすべて“賢人”となることはありえるか、その未来で経済システムは持続可能か、といった問いが生まれた。そしてこの問いは、技術革新により絶対的な最低水準が解消されていくことで真実味を増している。

 

【もう1冊】