モグラ談

40代のリベラルアーツ

【音】オルガンプロムナードコンサート(サントリーホール 2022/05/12)

  • お昼のα波タイム。この日は、フランク(1822-1890)“6つの作品より第2曲「交響的大曲」嬰ヘ短調作品17”。オルガンは梅干野安未(Ami Hoyano)さん。
  • フランクについて。“フランクはベートーヴェン以降のドイツロマン派音楽、特に同時代のリストやワーグナーから強い影響を受けた。”“前半の楽章で登場した主題の一部や全体が後半の楽章で再現されることで曲全体の統一が図られる。”“12度を掴むことが出来る大きな手を持っていた。これによってフランクのフーガ作品における声部連結は通常にない自由度を有しており、彼の鍵盤楽器作品では和音の幅の広さが特徴の一つとなっている。”(wiki
  • 今回は二階席。ホルンから発せられる音波に近づいた感じ。なかなかよい。
  • パイプオルガンの魅力に気づく。音域の広さ、胸に響く低音、頭頂を包むような高音、重なり合いながらとぎれなく、余韻を残しながら流れていく。大河のように。この広がりが、情緒性、物語性を生む。聴衆を想像にいざなう、過去、未来、自分、世界。
  • 今回の作品は、抒情性、物語性に富むもの。荘厳というより壮大。ときに生まれる激情的な旋律、後ろ姿の奏者のなびく髪、全身で弾く鍵盤、ペダルを踊る足。旋律と精神、楽器と肉体がシンクロしているよう。
  • ときに鍵盤から手を放し、ペダルだけで旋律を奏でる。響き渡る低音、しのびよる不吉を感じさせる。
  • 素晴らしい演奏。惜しみない拍手。
  • お昼は近くの”スペイン坂鳥幸”の焼鳥重。満足。

演奏会情報

【本】月と六ペンス(サマセット・モーム、金原瑞人訳)

  • 積読から旅のおともに。モームの代表作(1919)。新潮文庫Star Classics 名作新訳コレクション。軽快で平易な新訳がよい。装丁もグッド。
  • モーム(1874-1965)は、パリで生まれ、10歳で孤児となり、イギリスにわたり従軍、本作で作家として注目される。平易な文体、軽妙な会話のきりかえし、(諜報部員の経験からか)鋭い人間描写。
  • 一見、平凡で、決して社交的とはいえない仲買人のストリックランド。大柄、赤毛、長い指。40歳のある日、突然、別れを告げる手紙が妻に届く。“わたしは家にいない。おまえとは別れて暮らすことにした。・・もう家にはもどらない。わたしの心は変わらない。”連れ戻すよう依頼を受けた小説家の“私”が語り手となり、ストリックランドの生涯が描かれる。
  • なにか劇的な展開や謎解きがあるわけでも、壮大な叙事が描かれるでもないが、読みふけってしまう。粗野で無粋という点以外とらえどころがない主人公、常識的だが“笑わせてくれる相手を憎み切れない”語り手の私、いいやつすぎる“私”の友人ストルーヴェなど、愛すべき人物が惹きつける。
  • 小説家論がちょこちょこ。“作者の喜びは、書くという行為そのものにあり、書くことで心の重荷をおろすことにある”。“作家は架空の人物を細かく描きながら、それ以外では表現しようのない自分に命を与えてもいるのだ。作家の満足とは解放感なのだ。”など。春樹の“文化的雪かき”を想起。
  • 芸術家としての壮絶な最期。芥川の“地獄変”を想起させる狂気と迫真。
  • 主人公のストリックランドはゴーギャンをヒントに描かれたとされるが、訳者あとがきにあるように、“ストリックランドとゴーギャンに共通するものは少ない。・・この作品、ゴーギャンモームも忘れて読んでほしい。”はそのとおりだと思う。
  • 読み終えて、自分の中にストリックランドへの憧憬と愛情が生まれていることに気づく。

“食事もしよう。きみは、おれに一食分の借りがある。”

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【美】柳沢正人、花暦、収蔵名作展(成川美術館)

  • こぶりな4部屋でそれぞれ展示。見晴らす芦ノ湖、庭園のつつじ、おなじみの雰囲気。
  • 柳沢正人、“鮮烈な色彩とダイナミックな表現で世界各国の歴史的建造物や自然遺産を描きつづける”。欧州の建築物を背景に彫刻を前景に置く。分断される奥行き感、一見、コラージュのような輪郭の際立ち。この2種の造形物の空間的対比が時空のずれのような不思議な感覚を与える。
  • はなごよみ、“現代日本画の花の作品は、装飾美や様式美より花そのものの生命を表現することに重点”とのこと。岡崎忠雄の屏風絵大作を中心に、堀文子、牧進、山本丘人といった、同館おなじみの作品が並ぶ。清澄な岩絵の具の透明感と瑞々しさ、天候や時間帯により変わりゆく繊細な花の表情の描写。
  • 牡丹というモチーフ、避けてとおれない、惹きつけてやまない。黒光茂明の作品は、枯れゆく牡丹を滅びゆく美として表現。様々な美の見つけ方。
  • 収蔵名作展、又造の“猫”、平山郁夫の“ガンジスの夕”、毎年のご挨拶。石本正“朱唇”、女肌の美の追求。

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【美】モネからリヒター(ポーラ美術館)

  • “光”をテーマに、所蔵コレクションと近年の新収蔵作品を合わせて展示。充実した作品集。GWということもあり多数の来館者、モネの集客力。
  • はいるとすぐにルノワールの“レースの帽子の少女”、日本画から一気に西洋画、油彩画、印象派モードに。モリゾの“ベランダにて”、窓辺に座る少女、穏やかな陽光が差し込む、温度、風の音、ゆっくり流れる時間まで感じさせる。モネの“散歩”、草いきれ、温かな風を感じる。屋外で描く喜び。セザンヌの静音、ピカソの探求、マティスの赤。ブラックとピカソが拓いたキュビズムはまず静物を対象にセザンヌキュビズムからはじめた。マティスは、点描・新印象派シニャックと過ごした南仏で色彩の解放と自由な造形の啓示を受ける。歴史はつながっている。
  • 大正期の洋画を“内なる光”と称し展示。村山槐多、関根正二
  • レオナール・フジタの“ベッドの上の裸婦と犬”、乳白色の輝き。パリを熱狂させたフジタの白。和紙の白さをそのまま用いた浮世絵の技法を参考に、手製のキャンバスを白塗り。白磁器に通じる美。
  • 随所に1900年代前半のパリが生み出したエネルギーのすさまじさ、偉大さを感じながら鑑賞。
  • 戦後生まれた“アンフォルメル”という芸術潮流。戦前の幾何学的抽象画への反動としてパリで生まれ、ポロックアメリカのアクションペインティングと合流していく。分厚いマチエール(表面の肌合い)の不安定さや画家の筆や体の動きに重点を置く絵画とのこと。ふ~ん。
  • ジャン・デュビュッフェの“パレード”、白髪一雄の“泥錫”、物質性の探求。無機質を強調することで、逆説的だが生命の根源を示されているような感覚。物質という無機をかりて、むしろ有機をつきつけられているというか。
  • 抽象主義、いろいろなものが人の手、認知から離れていく感じ。サイエンスも同じか。美は表すものから生みだすものになっていると捉えてみた。個は媒体でなくある種の創造主に。偶発性への期待。混乱は無理ないとも。
  • リヒターの“抽象絵画(649-2)”、幻影が迫ってくる、そこに引き留められる。カプーアの“Glisten(Magenda Apple mix 2 to Gaenet)、赤一色の円盤、近づけば近づくほど色が捉えられなくなる、吸い込まれそうになる。
  • このほか、ハマスホイ、中村忠良、杉本博司、三島喜美代などなど。もりだくさんの展覧会

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【美】花鳥風月 名画で見る日本の四季(岡田美術館)

  • 恒例の箱根美術館めぐり。“春の桜、初夏の牡丹に燕子花、秋の紅葉に冬の雪”。自然に親しみ、行事・風物を通じこれを愛でる瞬間を大切にしてきた日本。日本の絵画を中心に、工芸品を合わせて展示。光琳、抱一、歌麿北斎、春草、御舟、若冲田中一村などなど。すばらしい企画。
  • 静謐な館内。無音。この静けさと空間は岡田美術館ならでは。集中しきれる。
  • 常設の陶磁器。前漢時代の騎馬俑、写実、素朴、力強さ。欠けることなく現存するその姿は時の流れに感慨を生む。充実した中国陶器の品々。景徳鎮の白磁、そばにおいて眺め続けたい気持ちがわかる。北宋に生まれた耀州窯のオリーブグリーン、なめらかな官能。
  • 江戸の名匠、野々村仁清尾形乾山。ろくろの名手で鮮やかな色付技術を生み出した仁清、兄の光琳との合作で陶磁と絵画を融合した乾山。有田・古九谷、黄・緑・青が創り出した独創と美。
  • 歌麿の“深川の雪”、深川料亭の活気が生き生きと伝わってくる。ひとりひとり変化に富む風俗描写。2×3.4mの大作。
  • ここから企画展。狩野元信“四季花鳥図屏風”でお出迎え。平安に始まった一つの絵に四季をまとめる表現、一年が無事めぐることに吉をみる。四季から2つの季節をとりだす二季は桃山頃から、一つの季節・モチーフをとりあげるのは江戸頃から増えた、とのこと。
  • 御舟の“木蓮”。二度目の鑑賞。モノトーンの無限性。清々しい。枝にほどこされた繊細なたらしこみ。“紫のゆかりたずねて鶯や此花かげにねぐらをやかる(建部政醇)”
  • 古径の“白花小禽”、泰山木の花弁の乳白と気高さ、葉の黒緑。
  • とりあげられることの少ない田中一村、”白花と赤翡翠”を展示。奄美の自然の力を花鳥で伝える。愛らしい赤翡翠、色彩と対照的にわずかに感じさせる寂寥。
  • 若冲の“孔雀鳳凰図”、孔雀の足元に咲く牡丹の富貴、鳳凰の絢爛、力強く迫る極彩色。若冲家督を譲り画業に専念しはじめたのが40歳、月と6ペンスのストリックランドも同じ、雪舟が渡明したのが47歳。40代、開眼の年代か。。
  • ギャラリートークを聞き、庭園を散歩。“うららかに陽光あびる牡丹かな”

“春はあけぼの夏は夜、秋は夕暮れ冬はつとめて”

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【本】現代の金融入門(池尾和人)

  • ロングセラーの改訂版(2010)。ニュースの背景を捉えたいけど、数式・理論まで学ぶのはちょっと、という人にお薦めの一冊。言葉の定義、解説が明瞭。入門書かくあるべし。
  • 著者は元慶応大学経済学部教授、国の審議会委員歴任、バブル崩壊時に審議会委員として政策提言、その後の金融システム改革に尽力。政策関与の経験を踏まえた記述に納得感。
  • 本書は、金融取引、銀行システム、政策と中央銀行といった、いろはのい、から懇切丁寧に解説。バブル崩壊の経験を踏まえた資産価格、日本の経済成長モデルを背景とした企業統治の固有性、米金融危機を踏まえたデリバティブ証券化の功罪、過去の教訓と技術革新を念頭においた規制監督のあり方、などにも及ぶ。金融システムの専門家の説明は、一語一句、きわめて明瞭。
  • いくつかの備忘。
    • 金融政策とは現金通貨の独占的発行権を有す中央銀行がマクロ経済目標を達成するために行う活動。目標には、水準向上( 失業率低下)、振れの縮小(eg. 低位のインフレ率)がある。
    • ただし、経済活動の潜在的実力には水準があり、これは実物的要因(資源、技術等)で決まり金融政策では変えることはできない。金融政策にできるのは、実力通りの水準からの乖離を小さくすること。よって、“水準”と“振れ”を明確に区別し、金融政策の役割は振れの最小化(物価安定)にあり、水準向上は構造改革等によりなされるべき、というのが基本的な合意。
    • この物価安定は、実質的には、“一定のインフレ率を中長期的に達成することを公約することに等しい”。
    • 従来の教科書では、金融政策とはマネーストック(よって、ハイパワードマネーの供給額)を決める政策、とされたが、正しくは、短期金融市場金利の誘導が操作対象変数であり、マネーストックはその結果として決まる内政変数に過ぎない
    • 名目利子率はマイナスにできないので、実質利子率を均衡状態(自然利子率)にさせるための名目利子率の操作は限界がある。バブル崩壊により自然利子率はマイナスとなったと思われるが、人々の予想インフレ率がゼロ近傍であったため、ゼロ金利(名目利子率ゼロ)としても、実質利子率がマイナスの自然利子率を上回る状況を解消できず、デフレ状況から抜け出せなかった、というのが日本の90年代(この名目利子率操作の限界への挑戦として、非伝統的金融政策がある)
    • 政策金利=α×インフレ率ギャップ+β×需給ギャップ+定数項(α=1.5、β=0.5のテイラー・ルールで、過去の行動をよく説明できる)
    • 近代のマクロ経済モデルは、従来のLM曲線に変えて、①テイラー・ルールのような金融政策ルールを考え、②IS曲線(需給一致条件)、③供給条件を示すフィリップス曲線(インフレ率=γ×(自然失業率-実際の失業率))、の3式から構成される分析枠組みが標準的
    • バブルが発生・崩壊しても資産価格の上昇・下落だけであれば、所得分配の変更はあれど、実体経済に悪影響しない。むしろ悪影響は、(根拠のない)資産価格の上昇が誤ったシグナルを企業や家計に送ることになり、実体経済面での歪みをもたらすこと(過大な実物投資と不良資産化等)。
    • 金融機関の2大機能は、審査・監視機能を通じた“情報生産機能”と資金需給の選好ギャップを埋める“資産変換機能”。後者の本質は、リスク・リターン構造の組替え。後者の役割の増大に伴い、金融業はますますリスク管理ビジネスの色彩を強めていく。デリバティブ証券化はこれを背景としたリスク移転の金融商品
    • 証券化は、金融仲介機能の分業化を促し、これは本質的には効率的な需給マッチや供給効率改善を期待できるもの
    • サブプライムローン問題は、利益を狙い細分化・複雑化されすぎた商品のリスク評価が困難となっていた中、住宅バブル崩壊により依存していた格付け信任が崩壊し、投資家により取り付けに相当する状況が起きたことによる
    • ここでは、多くの金融機関で同様のリスク管理手法をとっているがゆえ、個別金融機関の行動が合成され予期しない甚大なマーケットインパクトが引き起こされた(市場型システミック・リスク
    • 現代の望ましいプルーデンス政策(信用秩序の維持と預金者保護を目的とした政府による銀行規制活動)。①銀行の自己資本充実度と内部統制(リスク管理)体制に関する監視活動、②事後対応としての(裁量を挟まない)早期是正措置

“現在のお金と「将来時点でお金を提供するという約束」を交換するのが、金融取引である”

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【美】鏑木清方展(東京都国立近代美術館)

  • 日曜美術館を見ていて、会期が迫っていることに気づく。大手町から皇居沿いを歩く。散歩日和の五月。没後50年の記念展、2018年に再発見された“築地明石町”を含む大規模回顧展。西の松園、東の清方。音声ガイドは尾上松也さん、とてもよかった。
  • 清方芸術の柱は“生活”。細部に説明を尽くして表す。美人画で有名だが、美人画も季節を巡る暮らしがないとなりたたないとする。日常生活への愛、巷の風景、焼き芋、絵双紙屋、鰯売り・・・。明治後期の画壇では歴史画が本流の中、季節とともにする生活に美を見出す。
  • 美人画でのまなざし。どこか宙を見つめる。何か見ているようで、何かを想っている。頭に浮かぶ、暮らしがつくってきた情感を眺めているかのよう。瞳と唇に情がのる。
  • 佇む貴婦人を描いた“筑地明石町”(1927)、踊り稽古帰りの娘“浜町河岸”、秋雨を歩く新富芸者 “新富町”(1930)の3部作が目玉。築地明石町、“袖かきあわせてふりかえりみるイギリス巻きの女の瞳にすむや秋”(清方)。細身長身、深い二重、イギリス巻きは多くの美人画で描かれる日本人と異なる佇まい。透き通る白肌、生え際の美、平坦な首元。着物の淡青と繊細な柄が気品を高める。見据えた視線に意志を感じる。
  • “明治風俗12か月”。震災で失われた明治の風俗・生活を美しく残す。
  • 小説から着想を得、想像し、顕す。挿絵画家として出発し、泉鏡花に憧憬した清方、暗唱できるほど読み込んだ一葉のたけくらべ。物語性のある作品、情感のやりとりを切り取ったようなまなざし、空気間が伝わってくる。 “佃島の秋”、「この花やるよ」「え、いいの?」、はにかみ、恥じらいとともに聞こえてくる風景。
  • 随筆家としても優れていた清方。“こしかたの記”、神保町で探すが見つからず。図書館で随筆集を予約。
  • MOMATコレクション展も観覧。黒田清輝“落葉”、和田三造“南風”、岸田劉生など確認。跡見玉枝 “桜花図鑑”の色彩、日高理恵子“樹を見上げてⅦ”の寂寥、奈良原一高“人間の大地”の生命力を発見。

“願わくば日常生活に美術の光がさしこんで、暗い生活をも明るくし、息つまるような生活に換気窓ともなり、人の心に柔らぎ寛ぎを与へる親しい友となり得たい”(清方)

作品情報