モグラ談

40代のリベラルアーツ

【本】名著17冊の著者との往復書簡で読み解く 人事の成り立ち

書籍情報

【概要】

日本の雇用について、ジョブ型とパートナーシップ型の二項対立で扱われることが多いように思うが、単純化されすぎ、思考停止に陥っている印象を受ける。日本の雇用論を俯瞰できる書物を探していたところ本書に出会う。古典的良書から近年の新書まで幅広く紹介してくれる有難い本。

著者の海老沢嗣生(1964-)と荻野進介(1966-)はジャーナリストと文筆家・編集者。ともにリクルートワークス出身。

本著は、あえて日本型雇用を擁護する立場をとり、自説を展開し、問題を提起する。序章で著者が考える日本型雇用の本質を解説したうえで、17冊の良書を時代区分ごとに紹介していく。各書の紹介では、海老沢・荻野による概説、両氏から各著者へのなげかけ(往信)、各著者からのコメント(返信)という構成。ジャーナリスティックで挑発的なトーンも見受けられるが、幅広い雇用分野の知識に支えられているためか、読み手としては意図的な挑発と識別でき、これはこれでひとつの見識と落ち着いて読める。

(ここでは、序章を中心にポイントを整理)

 

【ポイント】

  • 日本型雇用を歴史的に以下の6区分に分け、各区分に良書を配置し解説していく。
    • 黎明期(第二次大戦前-1955):戦前は“職工身分制”。’50年代の労働争議は経営破綻回避のための労使協調路線。誰でも階段を登れる“青空の見える労務管理”の誕生。その背景に戦中の“同じ釜の飯を食べた経験”。
    • 完成期(1955-1972):日本は従来から給与が人(≠職務)によって決まる能力主義(属人給)。戦後GHQの指導や’60年代の外資規制撤廃の動きの中、職務給への転換を迫られるが、運用上の困難(職務分析に基づく等級付けや職務分担の硬直性)から根付かず。’60年代に、ランクごとに能力基準を定めクリアすれば職位資格と給与を上げる仕組みに到達。その時代背景に高度成長。
    • 順風期(1972-1991):大学進学率3割超えで管理職ポスト不足。安定成長にシフトし、「誰もが階段を上れる社会」に黄色信号。職能資格制度でポストと給与を独立させることで一定程度回避。
    • 動揺期(1991-2000):バブル崩壊で、高卒は製造業での雇用減、短大卒は一般職での雇用減、大卒は短大卒の就職難もあり大学進学率上昇し氷河期、といった問題。企業の人事制度は試行続きで混乱(職能資格→コンピテンシー評価、部下無し管理職→職務主義(ポストなし昇進不可)、定昇→基準給+成果給)。「誰でも上れる階段」維持のため非ホワイトカラー層を切り捨て。
    • 転換期(2000-2008):’95日経連の「新時代の「日本的経営」」で、①長期熟練の必要な能力蓄積層、②高いスペシャリティを元にした企業横断層、③単純業務を中心にした雇用柔軟層に区分。②は日本の労働市場に馴染まないものだったので、実質、①でホワイトカラー(特に総合職)を温存し、③の非ホワイトカラーの非正規化を擁護する結果に。
    • 不整合期(2008-):なんとか温存したホワイトカラーで問題が噴出。ブラック企業の問題と非正規を担ってきた女性の社会進出による制度疲労。そもそも「全員が階段を上れる」前提は、①経済成長、②女性と高齢者の切り捨て、③非ホワイトカラーの切り捨て、であったが、この前提は崩壊。労働力不足で②を取れ入れる必要が生じている点で従来と様相が異なる。
  • “日本は職務無限定雇用、欧米は限定”という説明があり、限定雇用はジョブディスクリプション(職務定義書)に詳細に指定されたタスクのみ行うと捉えられがちだがそうではない。職務定義書やその運用を調べればわかるが、欧米でも担うタスクは領域レベルでの大括りのケースが多い。
  • 日本と欧米の違いは、「勤務地域」と「職域」決定における人事権の程度。欧米は本人同意が前提だが、日本は企業の人事権の範疇(経理経理事務担当としてニューヨークで採用された職員を、同じ経理部でも経理事務以外のポジションにつけないし、ましてやシカゴで働かせることはできない)。ここから欧米のジョブ型は「ポスト固定型契約」、日本のメンバーシップ型は「ポスト可変型契約」といえる。これが本質的な違い。この違いが、新卒一括採用、低調な転職市場、ワークライフバランスや女性活躍上の課題、ミドル層のリストラなどに影響しているとする。
  • 日本型雇用の最大のポイントは、「(この仕組みに入れれば)原則として誰でも階段を上る」こととする(将棋の駒(立てると肩の部分まで同じように上がり、そこから急速に狭まる。この肩の部分が課長にあたり、だれでも課長にまで上がれる仕組み)に例えた説を引用)。これは賃金カーブが緩い欧米では信じられないこと。
  • 日本企業で、同じポストでも新人とベテランで給与が異なるのは、職務に対する報酬ではなく、職能(難易度の高い仕事に対処できる力)に対する報酬、という整理。職能等級制度による合理的説明。
  • 日本型雇用の利点。①(この仕組みに参加できれば)誰でも一定のところまで上がれる、②職務無限定なので、入職時に職務遂行能力がなくても(例:大卒新人)、習熟に応じて難易度の高い仕事を与えられ成長できる、③習熟に必要なポストの変更の自由度が高い(日本ではこれにより成長できるが、欧米ではポストが空かないと当該ポストに配置できない)。
  • 日本型雇用の問題。①習得する能力は当該企業の固有性・特殊性が強く、労働市場の流動化の障害になる、②業務に慣れると次の成長機会があてがわれるため長時間労働になりがち、③「常に階段を上がる」ことが常識化したため、それ以外のキャリア(一生同じ仕事で同じ給料)が異端視される、④この階段に乗り遅れると(若年時に正社員になれないと)取り返しがつかない。
  • 職務型の欧米では、経験者とポストを獲り合う新卒は不利。その職務能力ギャップを埋めるための職業訓練制度やインターンシップという仕組み(よって必然充実している)。ただし、インターンシップの処遇は低い(仏のインターンシップは3年制で平均14カ月インターンをするが、給与は最低賃金の1/3が実態)。いずれにせよ未経験者の入職のハードルは高く、これが若年失業率の高さにつながる。
  • 日本型雇用は配置の柔軟性を担保。欧米ではあるポストが空けば、すべて本人同意をとり、玉突きでポストを埋めていく必要。日本は人事権で異動させ、末端に空くポストを一括採用の新人で補充するという「魔法の人員補充策」。
  • 企業にはこうした「誰でもあがれる階段」を用意する法的義務はない。これらは慣行でなされ、これが判例の裏付けになり(解雇権濫用法理)、固着化していった。法改正で変更できる類のものでないゆえにOECD等の指摘を受けつつも維持されていった。
  • ただし、「誰でも階段を上がる」前提は、“この仕組みに参加できること”。高度成長期に定着したこのモデルは、ゼロ成長に移行し、維持が困難に。結果、“この仕組みに参加できる層”をホワイトカラーに残し、その他(ホワイトカラー周辺職(事務職)、非ホワイトカラー職(製造・建設・飲食・サービス等))を切り捨てた。さらに2010年代には、このホワイトカラー職においても維持が困難になってきている。

 

【雑感】

  • 日本型と欧米型の雇用を表層的でない独自の切り口で整理しながら、この分野の良著も俯瞰するという入門書として貴重な一冊。歴史を経て「誰でも階段を上れる社会」が案出され、その前提が崩れていく中で維持に苦心するもいよいよ限界、という時代認識に同意。
  • ではどうするか。著者が見えてきた答えとする「年次管理の緩和」は妙案。役職定年までの期間は、人それぞれがライフプランの中で柔軟に“踊り場”を設定し、だけど年齢と独立した評価で緩やかに階段を上っていく。企業は生涯賃金抑制、退職防止による採用費、教育訓練費の抑制につながる。
  • 一方それですべて解決するか。付加価値生産性向上という命題のためには、市場給と実際の受給額の乖離を解消する必要。職能資格制度ゆえにこの乖離が最大化するのはミドルシニア層。この層の(内外)労働市場での流動化をどう実現するか。①後払い賃金を暗黙的約束と捉える現在のこの層には市場給に近づける移動の仕組みを用意しつつ、当面は差分を補填する等のソフトランディングとする、②一人で4人家族を支えるモデルではなく、二人で5人支えるモデルへの転換と平行し、正社員ホワイトカラーの賃金カーブを抑制し、その他の層の処遇を改善していく、というのが長期的方向性か。

 

【もう1冊】