モグラ談

40代のリベラルアーツ

【本】なぜヒトは学ぶのか

書籍情報

【概要】

「教育とは、学ぶとはどういうことかについて、これまでと異なる生物学的な視点から書く」との冒頭の一文に興味をひかれ読了。

著者は、教育心理学、行動遺伝学を専門とする。

本著は、“自分自身の人生を歩み始めているはずの生物学的年齢に達しながらいまだそれを行っていない高校生、大学生”向けに、学ぶことの意味を、科学的根拠に基づき書かれた啓蒙の書。随所にわかりやすい例示やメッセージがちりばめられるが、行動遺伝学における学習に関する研究成果や、様々な能力・心理的特質と遺伝、環境の関係分析の紹介など、保護者としても、学び続ける成人としても役に立つ一冊。

 

【ポイント】

  • ヒトが学習するのは、生物として生き延びるために、異なる遺伝的素質を持った人たち同士で知識を共有する必要があるため。競争に勝つためでも、楽しみを追求するためでもなく、他人と知識を通じてつながりあうために人は学ぶ。どんなに利己的な目的で学習しようとも、学んだことは否応なしに他者のために使われ、その使い方が社会を形成し、翻って一人ひとりの生き方を規定する。
  • 文化を形成する知識を伝えるために、“教える”ことと“学ぶ”ことがセットで様式化された。このときの特別な脳の働き、すなわち“教育脳”をヒトは持っているという仮説が生まれる。ヒトには教育をする、教育によって学ぶ能力が生来備わっている(TNCA:Teaching as a natural cognitive ability)(シュトラウス&ジヴ)。
  • 人間の能力は基本的に遺伝の影響を受ける。個人の努力でそれを変えることは難しいと科学は示す。そのため、必要なのは、“どう”学べば人よりよい成績を上げられるかではなく、“なにを”学べばあなたが生きていくのに意味があるか、ということ。学習指導要領で国が求める知識レベルは高すぎる。全員を“金”に変えることは難しい。それぞれの特性の持ち味を知り、それを活かした使い方を見つけるべき、ということに気づくべき。
  • 本書では、“教育”の定義を、動物行動学者のカロとハウザーの提唱(1992)に基づき「すでに知識や技能を持つ個体が、目の前にその知識や技能を持たない学習者がいるときに特別に行う利他的な行動によって、その学習者に学習が生じること」とする。教育は互恵的利他主義(血縁でもない他者に対する利他性)による活動。また、学習とは「それまでに持たなかった運動パターンや知識を新たにし、忘れずに持ち続け、必要なときにそれを使えるようにすること」(著者定義)。
  • 学習の種類:
    • 個体学習:他個体に依存しない学習(例:ゾウリムシの走性、頭の中での問答)。以下の洞察、共同、模倣学習も個体学習の一部。
    • 洞察学習:推理したり、考えたりして学ぶ(例:チンパンジーがバナナをとるために棒を使う)
    • 共同学習:一個体でできないことを結果的に共同で成し遂げる(例:ライオンの群れによる狩り)
    • 観察学習、模倣学習:見て真似ることで学ぶ。結果模倣(エミュレーション)と意図模倣(イミテーション)があり、意図を理解し、やり方、手順、プロセスを真似る意図模倣ができるのは実は人間だけ(チンパンジーは結果模倣)。
  • ヒトは否が応でも、自分にしか解けない問題を解くために個体学習に取り組まねばならない。物事への関心の向け方や発揮する能力には個人差があり、大きな遺伝的差異がある。これが一人ひとり異なる個体学習を特徴づける重要な要因。
  • ヒトはあらゆる霊長類の中で著しく子供期と老年期が長いが、老年期の長さは、遺伝子伝達という使命を果たした後でもなお、知識と知恵を伝える役割を果たすことを生物学的な使命として授けられたため。
  • ヒトの脳は、生後数年間で急速に拡大し6歳くらいで成人脳の約9割に達し12歳くらいまでに残り1割を完成させ、その後、身体が急速に成長。身体より脳の成長を優先させ栄養を回す戦略をヒトは採用。
  • 学力の個人差の一番の要因は遺伝的な差。行動遺伝学研究では一貫した結果。教師の指導方法や本人の学習で変えられる影響は大きくとも2割、遺伝が5割、家庭環境が3割(8割は本人ではどうすることもできない)。遺伝的影響が大きいという事実を過小評価し、環境と努力がすべてであるような学習観は看過できない。この世界やその成り立ちを、その人の遺伝的素質に沿った形で理解し、深く知ろうとすることは決定的に重要。
    • 双生児法(一卵性双生児と二卵性双生児の比較から遺伝の影響を分析)によると、知能、学業成績、パーソナリティ(神経質、外向性、勤勉性、新規性追求、協調性等々)、精神病理、物質依存、反社会行動等、どの側面でも一卵性が二卵性より類似しており遺伝の影響がある。
    • 遺伝以外の環境は、育った家庭(共有環境)と同じ家庭でも一人ひとりで異なる個人的な環境(非共有環境)があるが、学業成績と物質依存では前者が、パーソナリティや精神病理、経済関連や15歳以上の反社会的行動では後者の影響が大きい。
    • 遺伝的特性が能動的に環境を作り上げるように遺伝と環境は相互に影響する。ただし、遺伝から独立した共有環境は2つあり、一つは親の社会経済的地位(経済力と職業威信)。なので経済的不平等を放置してはいけない。もう一つはとカオス(いつも騒がしい、生活習慣が乱れている等々)。ちなみに学業成績の遺伝率35-45%、共有環境の影響30-45%で、この共有環境のうち5%がカオスで説明できる。なので整理整頓は大切。
    • 遺伝が出やすい環境、出にくい環境はある。望ましい素質(遺伝)がある人には自由な環境を与え、素質のない人には手厚い教育的な手助けが有効。
    • 学業成績の遺伝要因の説明変数を分析すると、遺伝的に知能が高く、自信があり、前向き勤勉で、学校環境を学習環境としてポジティブに捉え、不注意や多動・攻撃的、情緒不安定などの問題性が少ない人、が学業成績のよい人。
    • 能力共通の遺伝要因と個別能力に効く遺伝要因がある。前者は遺伝、後者は非共有環境の影響が大きい。
    • ただし、そもそも才能はきわめて多様で複雑な身体的、心理的機能の独特な特質が合わさり、長年の学習やこれを支える社会的条件により徐々に形成されるものなので、特定の遺伝子の有限の組合せだけでは当然予測できない。
    • 学習環境に対する一人ひとりの適応性は、様々なところで遺伝的差異を反映し、向き不向きには必然性がある。その人に応じた“よりよい学習環境”の探究が重要。
  • 行動遺伝学は「人間は遺伝的に一人ひとり異なる(一人ひとりすべて独自の、誰とも異なる遺伝的存在である)」という世界観に基づく。この科学的事実を受け止めることが、遺伝による多様性が、人間が作り出す価値観や制度によって格差や差別を生み出してはいけないという発想につながる。これが「人間はいかなる遺伝的差異があろうと平等でなければならない」という価値観を支える。
  • その他:
    • 私たちの生活が、自分の知らない人たちの駆使する自分の知らない知識によって作られたものによって、そのほとんどを支えられねばならなくなったのは西欧社会では産業革命と資本主義の勃興のあたり、日本では明治維新以降のこと。
    • あなたが何者かは、あなたがどんな知識を持ち、その知識をどのように使っているのかということに等しい。

 

【雑感】

  • “一人ひとりが遺伝的差異のある独自の存在“であることを出発点に、格差や差別を解消していくという考え方に強く共感。
  • 遺伝子研究が進み、精神疾患との関係から心理学への適用は見受けられていたが、具体的な教育方法、学習環境の整備への応用に距離を感じていたところ、この谷を埋める研究の可能性を感じさせる一冊。
  • 遺伝による一人ひとりの差異をきちんと見つめ、“どう”学べば人よりよい成績を上げられるかではなく、“なにを”学べばあなたが生きていくのに意味があるか、に目的をシフトさせていくことが必要だろう。これを考えることこそがキャリア教育にほかならない。
  • 一人ひとりの遺伝的差異に基づいた学習環境の整備は、今後、実装されていくのではないか。目下のアダプティブラーニングは誤答状況から苦手を克服する設問提示に留まるが、学習環境の最適化(どのような機会にどのような手段でどのような方法で学習するのが当人に適しているか)が追求されていくとよい。
  • 遺伝から独立した共有環境として親の社会経済的地位があり、これは対処可能なので(放置されるべきではないので)、その格差は社会的に救済されないといけない、という自然科学研究に基づく社会制度の設計のロジックに、今後の政策形成プロセスの可能性を感じた。
  • 紹介された要因分析は、テストの回答結果やアンケートに基づくものと思われるが、今後は塩基レベルのDNAデータや、センサー等を用いた実際の行動データなどのビックデータ活用により研究は進展できそうだ。“教育脳”の解明と、実証、実装の流れに期待。

 

【もう1冊】

  • Learn Better(アーリック・ボーザー,月谷真紀訳,2018,英治出版)⇨教育研究者の著者が実証研究調査と研究者、実践家への多数の取材を通して明らかにする学びの方法。価値を見いだす、目標を決める、能力を伸ばす、発展させる、関係づける、再考する、から構成。“今の教育は、医学の世界でいえばヒルに吸わせて瀉血しているような時代ですよ”(取材先談)とのこと。
  • 心と脳-認知科学入門(安西祐一郎,2011,岩波新書)⇨脳科学の研究成果の商用化が加速する今日。そのベースとなる認知科学の概観を歴史に沿って俯瞰できる一冊。
  • 資質・能力(理論編)国立教育政策研究所編,2016,東洋館出版社)⇨新学習指導要領を支える資質能力研究の報告書を一般向けに整理。主体的・対話的な学びや、探究的な学習の意図が理解できる。
  • 思春期学長谷川寿一監修,2015,東京大学出版会)⇨10~20歳頃を思春期と捉え、その心・からだ・脳の発達とその背景を、40名を超える研究者が分担執筆。発現される学力やパーソナリティ、影響を与える遺伝や環境の間をつなぐメカニズムの理解も大切。
  • シャイニング(1980,アメリカ)⇨双子の映画といえば、これかスターウォーズ。キングとキューブリックは仲が悪かったらしい。最近、40年後を描いた「ドクター・スリープ」がユアン・マクレガー主演で発表された。