モグラ談

40代のリベラルアーツ

【本】アダム・スミス 「道徳感情論」と「国富論」の世界(堂目卓生)

書籍情報

【概要】

年末年始は資本主義を考える近年、今年は国富論山岡洋一訳)に手を伸ばしたが、長丁場になりそうなので、まず新書を読了。

著者の堂目卓生氏は、大阪大学大学院経済学研究科の教授。紫綬褒章受賞(2019)、本書でサントリー学芸賞受賞。

本著は、規制撤廃による競争促進の根拠としてなにかと引用される「経済学の祖」アダム・スミスの「国富論」を、もう1つの名著「道徳感情論」に示された人間観・社会観に沿って読み直す。

 

【ポイント】

  • アダム・スミス(1723-1790)はスコットランド生まれ、グラスゴー大学の道徳哲学教授、辞職後、欧州内旅行、執筆活動等を経て、グラスゴー大学名誉総長に就任。67歳で逝去。ハチスンから社会秩序は人間共通の“道徳感覚”より導出されること、ヒュームから啓蒙による傲慢(安易な改革は社会秩序を崩壊させる)といった洞察を受け継いだ。
  • 時代背景に、産業革命、ルソー・ヒューム・ヴォルテールモンテスキューら啓蒙時代の思想家による人間観・社会観、国家財政の実質9割を占める戦費、アメリカの植民地独立への対処、格差と貧困の深刻化があった。
  • 道徳感情
    • 社会秩序を導く人間本性は何か、人間のどのような本来的な性質が法を作らせ、守らせるのか、を明らかにする本。スミスは、様々な感情が作用しあうことで社会秩序が形成されると考えた。“人はどんなに利己的であると想定しても他人の幸不幸に関心を持ち、他人の幸福を自分にとって必要なものと感じる”といった人間観が出発点。そのうえで他人の感情・行為の適切性を判断する心の作用を“同感”と名付ける。
    • “同感”は他人から是認されたい(否定されたくない)というメカニズムを経て、各自の心の中に感情・行為を判断する“胸中の公平な観察者”を創り出す。この観察者が自分や他人の感情・行為を判断するようになり、“一般的諸規則”を心の中に形成し、これを顧慮すべきとする感覚が生まれる。この“義務の感覚”を“人間生活における最大の重要性を持つ原理であり、それにより自分の行為を方向付けられる唯一の原則”とする。
    • 義務の感覚の制御対象に、利己心や自己愛がある。したがって、無制限の利己心が放任されるべきという考え方はスミスの思想からはでてこない。
    • “胸中の公平な観察者“は、動機と結果から判断するが、動機より結果が見えやすいため、結果を重視しがち(殺害を意図したがその前に対象者が病気で死んでしまった)。そして結果は偶然に左右されるため、称賛と非難は偶然に左右される。こうした不規則性は、むしろ個人の心の自由を保障し、過失への注意を促し、社会の利益を促進する。
    • この不規則性により、他者からの非難・称賛と、内にある胸中の公平な観察者の認識にギャップが生じた際、これに苦悩するものを“弱い人”、左右されない人を“賢人”と呼ぶ。ただし、賢人も根拠のない非難には動揺する。この点で、常時平然でいられるストア哲学の賢人とは異なる。
    • 経済を発展させるのは、“弱い人”。弱い人は最低水準の富を持っていても、より多くの富を獲得して、より幸福な人生を送ろうとする。実際は富で幸福の程度はほとんど変わらないが、この欺瞞が経済発展の原動力となる。そして、“弱い人”(例えば高慢な地主)が富を獲得すれば、彼らは“見えざる手”に導かれて余剰を分配する。
    • スミスが容認するのは、正義感によって制御された野心であり、胸中の公平な観察者が認めない競争を避けること、である。
    • 公平な観察者は国際関係においても確立しうる。共通の公平な観察者をもてることが重要で、これは相互交流によりなされ、自由貿易こそ相互交流手段となる。
  • 国富論
    • 道徳感情論の最後で、法と統治の一般原理、生活行政・公収入・軍備に関する一般原理に取り組む意志を示す。国富論は後者に位置する(前者は未達)。
    • 繁栄の一般原理は分業と資本蓄積によりなされる。スミスは、分業の効果として、社会全体の生産性向上に加え、増加生産物が社会の最下層にまで広がることを重視。
    • ただし、スミスは税による再分配は明確に支持していない。最下層の人々は最低水準の富を得るだけでなく、世間の軽蔑や無視から自由になり、独立心も獲得する必要がある。与えられるべきは”施し“でなく”仕事“であり、それができるのは政府ではなく資本家である。
    • 資本蓄積は雇用と生産の好循環を生む。そして資本家の消費が不変であれば、税は少額であるほうが(公務員や軍人などの非生産的労働にまわることなく)生産的労働にまわる。浪費が資本蓄積を遅らせる。個人の浪費は倹約志向であるが、政府の浪費にはそれがない。
    • 資本は、生産物の不可欠性、投資の安全性、人としての土地への愛着などから、農業、製造業、外国貿易の順に投資されるのが“自然のなりゆき”だが、実際は逆行しており、これを戻すことが必要と考える。
    • 市場に参加するということは、同感や、称賛を得るために人を説得したいと考える性向、交換したいと思う性向に基づく互恵的行為を行うことであり、その発想に立てば、独占の精神は生まれてこない。
    • 市場拡大で、人々は、交換手段である貨幣それ自体を富と思い込む錯覚が生まれた。重商主義は貨幣を富と錯覚することのうえに築かれた政策で、称賛されるものを称賛に値するものと錯覚する“弱い人”の経済政策である。植民地貿易によるこの政策は、特権商人の貪欲と政府の虚栄心を満たすため、なんの利益も受けない多数の国民の財産を侵す政策。国富論はこの錯覚から人々を目覚めさせ、真の豊かさをもたらす一般原理に導くことを目指す。
    • 人間は優先と抑制を正しく判断するための十分な知識を持てない。したがって優先や抑制自体を廃止するほうがよい。“自然的自由の体系”を確立し、労働と資本の使い方を所有者個人に委ねるほうがより注意深く用いられる。個人が正義の諸法を守って行動する限り、個人の行動は見えざる手に導かれて社会に最大の利益を生むであろう。
    • ただし規制緩和は徐々に緩やかになされるべき。“体系の人”(現実を十分考慮せずに信じる理想の体系に向かって急激な社会変革を目指す統治者)は悲惨な結果を招く。
  • “健康で、負債がなく、良心にやましいところのない人に対して何をつけくわえることができようか”(「道徳感情論」一部三編一章)
  • “諸個人の間の商業と同様、諸国民の間の貿易は、本来は連合と友情の絆であるはずなのに、不和と敵意の源泉となっている。”(「国富論」四編三章二節)

 

【雑感】

  • 明確な記述と論旨、適切なタイミングで挿入される要約など、とても読後感のよい一冊。寡作のスミスの二大著作のエッセンスを学べる良著。道徳感情論をスミスの基本的思想と捉え、国富論に対する現代の誤解に気づかせる構成もよい。
  • スミスはあくまで倫理・哲学者であり理論経済学者ではない、というのが新鮮な気づき。“胸中の公平な観察者”に従うことを前提とすること、最下層への分配を重視した社会政策的視点が基底になっていることもスミス理解に必要な認識。人間の本性に対する寛容で現実的なまなざしと洞察に共感。
  • この“胸中の公平な観察者”をいかに成熟させられるか、経済発展を担う“弱い人”がすべて“賢人”となることはありえるか、その未来で経済システムは持続可能か、といった問いが生まれた。そしてこの問いは、技術革新により絶対的な最低水準が解消されていくことで真実味を増している。

 

【もう1冊】