モグラ談

40代のリベラルアーツ

【本】西洋音楽史(岡田暁生)

書籍情報

【概要】

“新書で通史”の一環で読了。

著者は、京大人文科学研究所の音楽学者。本著は、18世紀から20世紀初頭までのクラシック音楽を内包する、中世から現代に至る西洋音楽の通史をわかりやすくコンパクトにまとめたありがたい一冊。

【ポイント】

  • “ドレミの音階、和音の音システム、ヴァイオリン・フルート・鍵盤楽器といった楽器、演奏会や楽譜出版制度など、今日の音楽のありようの多くはクラシック時代に形成された。クラシックは私たちが今その中で生きている音楽環境の自明の一部。しからば各時代へどのような視線を向けるべきか”。本書では、クラシック時代はできる限り相対化し、古楽/現代音楽はクラシック時代と関連させることで通史の理解を助ける。
  • 西洋芸術音楽とは、①知的エリート階級(聖職者、貴族)に支えられ、②主にイタリア・フランス・ドイツで発達し、③紙に書かれ設計される、音楽文化、と定義する。
  • 中世(7~14世紀):
  • ルネサンス(15,16世紀):
    • のびやかな旋律と響きのぬくもりは中世になかったもの。作曲家の大量出現(芸術家意識の芽生え)と作品という概念の発生。印刷技術の発達がこの背景(商業的楽譜印刷開始1501年)
    • 16世紀は、中世からルネサンス前半の声楽中心時代からバロックの器楽中心時代への移行期。中心地も、中世フランス、ルネサンス前半フランドルから、バロックにいたるまでイタリアに。
    • 技法上は、滑らかな横の流れから、複数の壮大な柱(和音)へ。和音の発見は不協和音の発見と同義。
    • ルターはカトリックにおけるグレゴリオ聖歌に変わるプロテスタント音楽を希求し、“コラール”が誕生。このコラールがバッハで頂点に達するドイツ・プロテスタント音楽の土台に。
  • バロック(1600-1750頃):
    • 大作曲家(ヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハ(1685-1750))、名曲、鍵盤独奏曲・協奏曲・管弦楽曲・オペラなどのジャンルの登場、三和音、長調/短調区別確立の時代(ちなみに協奏曲は、それまでの無伴奏曲の均質さに対して、器楽と合唱が競いつつ調和する、という意味)。古楽がクラシックになりはじめた時代(一方、交響曲弦楽四重奏ピアノソナタ、リートなどは18世紀後半のウィーン古典派から)。
    • 多産多彩でイメージ収斂は困難だが、絶対王政時代の宮廷音楽はひとつのイメージで、その頂点がオペラ(古代ギリシャ悲劇を復元しようとしたフィレンチェの好事家の試みとして誕生)。劇音楽における音楽による情動表現の誕生。
    • (バッハの影響でバロックといえばフーガというイメージが普及しているが)バロック通奏低音(低音が主導権を握る和音)の時代。低音チェロの力強いうねりが作り出す超越した何かに抱かれる感覚は、旋律主体の音楽からは得られないもの。
    • バロック音楽の理解にあたり、カトリック文化圏とプロテスタント文化圏の二元性理解は不可欠。後者の中心は教会。ルター以来の伝統として、プロテスタントにおいて音楽は神への捧げもの。
  • ウィーン古典派(バッハ逝去1750~ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書1802はひとつの区分):
    • 18世紀中頃からの急速な市民階級の勃興や啓蒙主義運動の同時代現象。発言権を増した中産市民が明快で合理的な考え方を尊び、等身大の人間像を求め、自然な感情発露を尊んだ。
    • 技法的には、対位法を廃止し、旋律と和音伴走だけでできたシンプルな音楽。通奏低音の足かせから解放され、旋律が自由に躍動。
    • 演奏会制度(オペラ上演期間外に宮廷劇場を作曲家に貸し出し)が広がりはじめ、楽譜印刷業が盛んになり、お金を出せば誰もが好きな楽譜を買って自宅で嗜むことができるようになっていった時代。ハイドンはこれらの機会をもっともうまくつかんだ作曲家。交響曲はまさに演奏会に適した楽曲。
    • ソナタ形式古典派音楽時代に生まれたもっとも重要な音楽形式。基本的に提示部・展開部・再現部からなり、提示部で示された二つの主題が、展開し、再現部で対立が解消される。ソナタ形式は、“対立を経て和解に至る”形式。こうした音楽による議論と呼ぶべき形式はそれまでなかった。啓蒙の時代に生まれた形式といえる。
    • モーツァルトは革命以前の人、ハイドンは革命後もしばらく活動していた人、ベートーヴェンは革命後の人。ベートーヴェンは、18世紀までの貴族世界と決定的に縁を切っている点でハイドンモーツァルトと異なる(ハイドンは啓蒙時代のサロンにおける貴族と市民哲学者との対話を連想させるが、ベートーヴェンはしばしば挑戦状を叩きつけるかのよう)。終楽章めがけ昂揚していく様に、ヘーゲルマルクスダーウィンを生んだ19世紀的進歩史観の刻印をみるのはたやすい。
  • ロマン派(19世紀):
  • 後期ロマン派(ワーグナー逝去1884~1914第一次大戦):
  • 第一次大戦以降:
    • 1920年代の若手作曲家の共通項はロマン派への極度な嫌悪。彼らは、機械的なリズム、残響のない乾いた響き、ジャズ・キャバレー音楽といった喧噪を好んだ(新古典主義)。アンチ・ロマン派のカリスマがストラヴィンスキーであり、既知の材料の引用とアレンジのみで曲を書く試み(オリジナリティを重視したロマン派の原理と対立)がなされた(親友のピカソのコラージュと似た技法)。
    • 20世紀後半の3つの音楽史的風景:①前衛音楽の系譜(一種のアングラ音楽への先鋭化)、②巨匠によるクラシック・レパートリーの“演奏”(ただし名盤も出尽くした感あり)、③アングロサクソン系娯楽音楽産業。
    • 我々はいまだに19世紀ロマン派から決して自由になっていない(クラシック・レパートリーの演奏では、五線譜で作曲し、コンサートホールで演奏。現代音楽でもドレミ音階で作られた旋律を感動のために歌う)。

【雑感】

  • 抒情と音楽愛に満ちた、リズムあふれる表現力あふれた文体。学術知に基づきつつ、主観をしっかり主張しつつ、わかりやすくコンパクトにまとめられた、まさに新書としてふさわしい一冊。
  •  読みながら、文中引用される曲をamazonで聞く。便利な世の中。
  •  歴史や技法を知ることで芸術はより身近になる。クラシック時代は独立・断絶した存在ではなく、中世から現代につながる系譜に位置付けられることを理解。
  •  音楽も思想や美術と同期する。欧州発の文化は、大戦による思想的混乱や理性への懐疑で一度断絶されたと改めて感じる。
  •  芸術においてもはや美は求められていない?求められるは、人間の可能性の追求?共感?受け手ひとりひとりに求められる意識、態度が感受において重要性を増している。教養としての芸術が求められる背景はここにあるのかもしれない。
  • 本書は以下で閉じられる。執筆から15年。著者の今の見解を聞いてみたい。

    “諸芸術の中で音楽だけが持つ一種宗教的なオーラは、いまだに消滅してはいない。(中略)宗教を喪失した社会が生み出す感動中毒。神なき時代の宗教的カタルシスの代用品としての音楽の洪水。ここには現代人が抱えるさまざまな精神的危機の兆候が見え隠れしていると、私には思える“

     

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