【本】西洋音楽史(岡田暁生)
【概要】
“新書で通史”の一環で読了。
著者は、京大人文科学研究所の音楽学者。本著は、18世紀から20世紀初頭までのクラシック音楽を内包する、中世から現代に至る西洋音楽の通史をわかりやすくコンパクトにまとめたありがたい一冊。
【ポイント】
- “ドレミの音階、和音の音システム、ヴァイオリン・フルート・鍵盤楽器といった楽器、演奏会や楽譜出版制度など、今日の音楽のありようの多くはクラシック時代に形成された。クラシックは私たちが今その中で生きている音楽環境の自明の一部。しからば各時代へどのような視線を向けるべきか”。本書では、クラシック時代はできる限り相対化し、古楽/現代音楽はクラシック時代と関連させることで通史の理解を助ける。
- 西洋芸術音楽とは、①知的エリート階級(聖職者、貴族)に支えられ、②主にイタリア・フランス・ドイツで発達し、③紙に書かれ設計される、音楽文化、と定義する。
- 中世(7~14世紀):
- 西洋音楽史のもっとも重要な水源の一つがグレゴリオ聖歌(単旋律で歌われるローマ・カトリック教会のラテン語による聖歌)。神の恐れにおののく時代の “神の言葉”または“神の世界で鳴り響く音楽”。
- 中世の音楽史:単旋律のグレゴリオ聖歌→物足りなくなり別旋律を重ねて歌う“オルガヌム”(楽譜に垂直思考誕生)→ノートルダム楽派(12世紀末~)でオルガヌム頂点(教会権威絶頂期)/記譜の開始・時間分節(リズム)の追求→モテット(低音のグレゴリオ聖歌+世俗歌詞をもつ2つの創作声部)(13,14世紀)→音楽を楽しむ官能の目覚め
- 中世では、音楽は音を楽しむものではなく、世界を調律している秩序を意味。その源流は、ギリシャ時代に音楽が“振動し鳴り響く数字”であるいう認識(音程比と弦の長さの比例関係を発見したピタゴラス)。
- ルネサンス(15,16世紀):
- のびやかな旋律と響きのぬくもりは中世になかったもの。作曲家の大量出現(芸術家意識の芽生え)と作品という概念の発生。印刷技術の発達がこの背景(商業的楽譜印刷開始1501年)
- 16世紀は、中世からルネサンス前半の声楽中心時代からバロックの器楽中心時代への移行期。中心地も、中世フランス、ルネサンス前半フランドルから、バロックにいたるまでイタリアに。
- 技法上は、滑らかな横の流れから、複数の壮大な柱(和音)へ。和音の発見は不協和音の発見と同義。
- ルターはカトリックにおけるグレゴリオ聖歌に変わるプロテスタント音楽を希求し、“コラール”が誕生。このコラールがバッハで頂点に達するドイツ・プロテスタント音楽の土台に。
- バロック(1600-1750頃):
- 大作曲家(ヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハ(1685-1750))、名曲、鍵盤独奏曲・協奏曲・管弦楽曲・オペラなどのジャンルの登場、三和音、長調/短調区別確立の時代(ちなみに協奏曲は、それまでの無伴奏曲の均質さに対して、器楽と合唱が競いつつ調和する、という意味)。古楽がクラシックになりはじめた時代(一方、交響曲、弦楽四重奏、ピアノソナタ、リートなどは18世紀後半のウィーン古典派から)。
- 多産多彩でイメージ収斂は困難だが、絶対王政時代の宮廷音楽はひとつのイメージで、その頂点がオペラ(古代ギリシャ悲劇を復元しようとしたフィレンチェの好事家の試みとして誕生)。劇音楽における音楽による情動表現の誕生。
- (バッハの影響でバロックといえばフーガというイメージが普及しているが)バロックは通奏低音(低音が主導権を握る和音)の時代。低音チェロの力強いうねりが作り出す超越した何かに抱かれる感覚は、旋律主体の音楽からは得られないもの。
- バロック音楽の理解にあたり、カトリック文化圏とプロテスタント文化圏の二元性理解は不可欠。後者の中心は教会。ルター以来の伝統として、プロテスタントにおいて音楽は神への捧げもの。
- ウィーン古典派(バッハ逝去1750~ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書1802はひとつの区分):
- 18世紀中頃からの急速な市民階級の勃興や啓蒙主義運動の同時代現象。発言権を増した中産市民が明快で合理的な考え方を尊び、等身大の人間像を求め、自然な感情発露を尊んだ。
- 技法的には、対位法を廃止し、旋律と和音伴走だけでできたシンプルな音楽。通奏低音の足かせから解放され、旋律が自由に躍動。
- 演奏会制度(オペラ上演期間外に宮廷劇場を作曲家に貸し出し)が広がりはじめ、楽譜印刷業が盛んになり、お金を出せば誰もが好きな楽譜を買って自宅で嗜むことができるようになっていった時代。ハイドンはこれらの機会をもっともうまくつかんだ作曲家。交響曲はまさに演奏会に適した楽曲。
- ソナタ形式は古典派音楽時代に生まれたもっとも重要な音楽形式。基本的に提示部・展開部・再現部からなり、提示部で示された二つの主題が、展開し、再現部で対立が解消される。ソナタ形式は、“対立を経て和解に至る”形式。こうした音楽による議論と呼ぶべき形式はそれまでなかった。啓蒙の時代に生まれた形式といえる。
- モーツァルトは革命以前の人、ハイドンは革命後もしばらく活動していた人、ベートーヴェンは革命後の人。ベートーヴェンは、18世紀までの貴族世界と決定的に縁を切っている点でハイドン、モーツァルトと異なる(ハイドンは啓蒙時代のサロンにおける貴族と市民哲学者との対話を連想させるが、ベートーヴェンはしばしば挑戦状を叩きつけるかのよう)。終楽章めがけ昂揚していく様に、ヘーゲル、マルクス、ダーウィンを生んだ19世紀的進歩史観の刻印をみるのはたやすい。
- ロマン派(19世紀):
- 一言でいうと百花繚乱(シューベルト、シューマン、リスト、ワーグナー、ブラームス、ベルリオーズ、ロッシーニ、ヴェルディ、スメタナ、ドヴォルジャーク、チャイコフスキー)。中心地はパリ。
- それ以前の市民化の流れが加速され完成した時代(劇場にボックス席を持ち、定期演奏会に通い、ピアノを購入し娘に習わせられるようになった時代)。グランドオペラの誕生。
- それまでの作曲家はパトロンの求めに応じて曲を作成(さまざまな“型”の習得が重要)。この時代の作曲家は市場で認められる曲を作成(アクの強さ(ベルリオーズ、リスト)、得意分野に集中(ショパン、ワーグナー))。すなわち、職人的うまさから芸術家の独創性の時代。
- 音楽批評(記念碑的作品の選定を使命)、音楽学校(音楽の公共化)、練習曲が誕生。舞台上のプロと客席のアマの分離、大音量、高度な演奏技術の時代でもある。
- ショパンとリストのサロン音楽は、超絶技巧の流れとしてロシア楽派(ラフマニノフ)、ダンディズムの美学の流れとして近代フランス楽派(ドビュッシー、ラヴェル)に継承。
- ドイツ語圏では、こうした通俗化とは対照的な動き(真面目なクラシック)。このあたりから粛々と聴くべき芸術と、楽しみを目的とする娯楽が音楽史上はっきりと分離しはじめる。共通項は、“市民を感動させること”。これは現代のポピュラーミュージックにつながっていく。
- 19世紀ドイツ器楽音楽文化の3つの方向:①詩的ピアノ小品集(シューマン、メンデルスゾーン)、②理念的・哲学的な表現(音は言葉を超えた理念に肉薄できる)を目指す標題音楽(ベルリオーズ、リスト、ワーグナー)、③音楽は音楽以外の何物ではないとする絶対音楽(ブラームス)。
- 後期ロマン派(ワーグナー逝去1884~1914第一次大戦):
- わずか30年あまりのエポックに、マーラー、シュトラウス、プッチーニ、ドビュッシー、ラヴェル、サティ、ラフマニノフ、スクリャービン、ファリャ、アルベニス、グラナドスの主要作品の殆どが誕生。
- フランス近代音楽は重要な潮流。パリはこれまで中心地であったが、活躍した作曲家の殆どは外国人。普仏戦争敗北を転機に正統的な器楽文化創設の動きが生まれ、ドビュッシーやラヴェルにつながり、ダンディズム、洗練されたスノビズムが生まれた。ここに場末の酒場の音楽や異国文化(エキゾチシズム)が加わったものがフランス印象派音楽。エキゾチシズムの背景には、和音やドレミを基礎とする西洋音楽の語法の可能性が使い尽くされたという認識。
- ドイツでは、聴衆の度肝を抜く(クライマックスを冒頭にもってくる、大音量)シュトラウス、形而上学的な音楽観を追求したマーラー。ここにドビュッシーを加えた世紀転換期の前衛作曲家の次の世代から、既成枠組みを破壊する動きが生まれてくる(調性、拍子の一定性、楽音の破壊)。
- 第一次大戦以降:
- 1920年代の若手作曲家の共通項はロマン派への極度な嫌悪。彼らは、機械的なリズム、残響のない乾いた響き、ジャズ・キャバレー音楽といった喧噪を好んだ(新古典主義)。アンチ・ロマン派のカリスマがストラヴィンスキーであり、既知の材料の引用とアレンジのみで曲を書く試み(オリジナリティを重視したロマン派の原理と対立)がなされた(親友のピカソのコラージュと似た技法)。
- 20世紀後半の3つの音楽史的風景:①前衛音楽の系譜(一種のアングラ音楽への先鋭化)、②巨匠によるクラシック・レパートリーの“演奏”(ただし名盤も出尽くした感あり)、③アングロサクソン系娯楽音楽産業。
- 我々はいまだに19世紀ロマン派から決して自由になっていない(クラシック・レパートリーの演奏では、五線譜で作曲し、コンサートホールで演奏。現代音楽でもドレミ音階で作られた旋律を感動のために歌う)。
【雑感】
- 抒情と音楽愛に満ちた、リズムあふれる表現力あふれた文体。学術知に基づきつつ、主観をしっかり主張しつつ、わかりやすくコンパクトにまとめられた、まさに新書としてふさわしい一冊。
- 読みながら、文中引用される曲をamazonで聞く。便利な世の中。
- 歴史や技法を知ることで芸術はより身近になる。クラシック時代は独立・断絶した存在ではなく、中世から現代につながる系譜に位置付けられることを理解。
- 音楽も思想や美術と同期する。欧州発の文化は、大戦による思想的混乱や理性への懐疑で一度断絶されたと改めて感じる。
- 芸術においてもはや美は求められていない?求められるは、人間の可能性の追求?共感?受け手ひとりひとりに求められる意識、態度が感受において重要性を増している。教養としての芸術が求められる背景はここにあるのかもしれない。
- 本書は以下で閉じられる。執筆から15年。著者の今の見解を聞いてみたい。
“諸芸術の中で音楽だけが持つ一種宗教的なオーラは、いまだに消滅してはいない。(中略)宗教を喪失した社会が生み出す感動中毒。神なき時代の宗教的カタルシスの代用品としての音楽の洪水。ここには現代人が抱えるさまざまな精神的危機の兆候が見え隠れしていると、私には思える“
【もう1冊】
- 音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉(岡田暁生,2009 ,中公新書)⇨音楽の聴き方は自由だが、一切から自由に聞くことは不可能だ。ならば自らの聴き方を自覚的になってみてはどうか。音楽を語る語彙、音楽自体の語法、再生のポータビリティなどの観点から気づかせる。