【本】ニーチェ入門(清水真木)
- 読んでこなかったニーチェ(1844-1900)。“ツァラトゥストラ”を手にするには、木を見て森を見落としそうな気がして入門書。入門書いろいろあれど、本書は、ニーチェの生涯、キーワード解説、著作解題ととてもよいバランス。ニーチェ自身の病の経験から、思索を読み解く筋道も面白い。
- 平易な記述、史実や定説は幅広く記載しながら、主張にオリジナリティ、というのがよい。著者は、哲学専攻の教授。博論がニーチェ。祖父は清水幾多郎。
- その生涯を、様々な側面から通説に照らし示す。哲学者としての、ドイツ人としての、牧師の息子としての、文献学者としての、ヴァーグナー主義者としての、狂人としての、病人としての・・・。いずれも思索を読み解く背景につながる。とくに古典文献学、とくに“ギリシャ”哲学研究者としての卓越した業績、出自は頭に留めておきたいと思った(悲劇を糧とする気質(アポロン的))。
- ニーチェの生涯をつぶさに眺めた結果、“ニーチェの思想は健康と病気の概念を手がかりとして理解されるべき”との仮説に至る。
- “病人とは、自分の身体に負荷がかけられることを避け、身体を休息させ保護しようとする人間である“というニーチェの洞察から、「本能や知性が健康な者は知性に負荷をかけることを欲する→知性への負荷とは生存に敵対的に作用するペシミスティックな認識→こうした認識によって生存への意欲が損なわれることなく却ってこれを生きるための刺激として欲求する強さが”強者“の強さ(ディオニュソス的ペシミズム)」と論を展開。
- そして、もっともペシミズムな認識とは、“すべての事象が同一の順序に従って繰り返し永遠に生起する。すなわち、生きることには夢も希望もなく、努力の意味もない(等しきものの永劫回帰)”。永劫回帰は、もっとも強い人間(超人)を識別する試金石とする。
- よって、逆に本能が病んでるものは、慰めや希望を与える、すがることのできる認識を求める。ロマン主義、プラトニズム、キリスト教・・・。
- この弱者の道徳(奴隷道徳)は、弱者の強者に対するルサンチマン(怨恨)に支えられる。奴隷道徳は、徳(卓越性)に対する憎悪を浸透させ、人間の画一性と矮小化を生み、超人の反対物である“末人”を生む。キリスト教は“末人”を生み、末人によりキリスト教が持つ卓越性や神的性質に対する憎悪が生まれ、逆説的に末人に滅ぼされる、とする(神は死んだ)。
- いくつかの備忘。
- この“超人観”、仏教の“無常観”に大きく重なると感じた。此岸の現実を見定め、(ここで停止せずに)これと対峙し続けていく、ということが強さ、という見立てはとても共感のいくもの。支えるものがなにもない“ちゅうぶらりんな状況”に対峙“し続けて”いく、というのが“寛解”の時代には必要で、そこではたえざる対話が必要な時代、と発想が広がっていく。
- ちくま学芸文庫いいね