モグラ談

40代のリベラルアーツ

【美】ランス美術館コレクション 風景画のはじまり コローから印象派へ(SOMPO美術館:2021/7/22)

作品情報

【概要・雑感】

  • 連休なので、と調べたところ、バルビゾン好き、風景画好きにはたまらない企画をやってるではないですか、ということで早速鑑賞。“コローやクールベバルビゾン派から印象派まで、フランスの近代風景画をたどる展覧会です。”
  • パリ北東シャンパーニュ地方のランス美術館コレクションを展示。まずコローの作品が並ぶ。落ち葉を踏みしめる音、足の裏から伝わる感触、土の湿り気、小川のよどみを運ぶ風のにおいまで感じさせる。ここに描かれた風景が生み出す空気は、現代の私たちが、いつでも見いだすことができるものではないかな、と思う。それはすなわち、写実的であるけれども、そこにはコローがイマジネートした抒情的世界が封じこめられ、ゆえに普遍性を獲得した、とでもいいましょうか。
  • 日本画とは異なる多様な緑。森の緑。厚塗りの樹木、人々が憩う木陰。
  • ウジェーヌ・ブーダン。空の王者。空を中心とする大胆な構図、底知れぬ迫力を感じさせる動きある雲。“遥か彼方の灰色がかった霞の中に雲を配置して青空を輝かせること”(ブーダン

 

【映】花様年華 (prime video:2021/07/21)

作品情報

【概要・雑感】

  • ウォッチリストから一作。我が青春のウォン・カーウァイ作品、撮影クリストファー・ドイルのペア。マギー・チャントニー・レオントニー・レオンはカンヌで主演男優賞。
  • 時と音を調合した映像美、映さないことで想像を誘う実験的な技法、だけどゴダールのようにあからさまではない。
  • ウォン・カーウァイ作品は、切なさにひかれる。すれ違う運命の切なさ。いや、そもそも切なさとは、届きそうで去っていくもの、つかみかけても流れ落ちてしまうもののことをいうのかも、などと思う。
  • 舞台は1962年の香港。街にも、道にも、店内にも空間に遊びがある。スペースがあるという意味ではなく、統制されていないある種ののりしろがある。
  • それにしても香港映画は食事のシーンが豊かだ。

 

【もう1作】

 

【美】百花繚乱-華麗なる花の世界-(山種美術館:2021/6/26) 

作品情報

【概要・雑感】

  • 毎回すばらしい企画。My most favorite museum!開館55周年記念展覧会。古径、土牛、蓬春、青樹、御舟などなど。心洗われた。大満足。
  • 古径の葉や茎にみる淡く流れるような薄緑と輪郭。傾く構図が不安定さと同時に動きを感じさせる。土牛にも通じるが、この淡く、温かい緑が好きなんだなぁと自覚。
  • 牡丹、菖蒲、燕子花、芥子、桜。好んで描かれてきたモチーフ。ゆらぎ、儚さ、静寂、生命力が創りだす美。
  • 蓬春の“梅雨晴”。紫陽花が顕しうるすべての色彩を、静寂と湿度感とともに伝えるもの。祖母に伝えようと絵ハガキ購入。と感じいったところに、すぐそばに梅原龍三郎。大胆な色彩と筆致。
  • 絵巻物で草花を図鑑的に表現した田能村直入の“百花”。この絵の中に迷い込みたいなぁ。
  • 古径の“蓮”。淡き美しき古径のいいところすべて。浄土だ。
  • “写生の真意は、具象的な形態を真実に再現することではなく、その物象の性格と環境と雰囲気とを研究探明してその裏にひそむ物の性霊を表現するにある”(大観)
  • こぶりの第二展示室は牡丹特集。福田平八郎の“牡丹”に足を止めること5分。この色合い!香り、花弁のふくよかさ、葉のしめやかさ、漂う湿度感まで伝わってくる大作。まさに幽玄。裏彩色(絹地の裏から彩色)という技法が用いられているとのこと。
  • 加藤周一(日本文学史序説)で繰り返し述べられていたことを思いだす。彼岸より此岸、叙事より抒情、抽象より具象、歴史より“いまここ”、これらを日本人が好んできたことを。花鳥画の写実はまさにこの結晶かしら。

【句】令和3年6月

青々と燃ゆる緑や初夏の梅
母子つなぐ捕虫網かな夏子立
蜜蜂や輝く産毛縞の河(※)
噴水や水面打つ音はしゃぐ稚児
暑き午後稚児の黒髪照る日差し
青緑に外すイヤホン新世界
夏木立飛び立つ小鳥足止める
昼下がり鴉鳴く声そよぐ風(※)
時鳥広がる夏野午後の二時
河川敷家族の背中揚羽蝶
沿道にゆらぐ夏草たくましく

(※)季語なし/季節ちがい

【句】令和3年5月

連休からにわか俳句をはじめてみる。自然や心情を定型の中で分節してみる、というのはなかなか味わい深い。勉強が必要。

 

朝涼に太極拳や動き出す

葉脈や娘の成長柏餅

笹粽まっすぐ育てなめらかに

子どもの日祝い祝われいつまでも

鯉のぼり役目果たしてしたり顔

見上げると青いキャンバス若楓

マスク越し薫風感じ歩みだす

草いきれにじむ首筋そよぐ風

迎え梅雨ペダルの重み子の成長

初鰹想いみちびく母の指

誰が言う新樹の木目よしあしと

気づいたよ蟻の通勤ありがとう

たおやかに水面が介す地と青葉

夏木立つつみさまよう言のかげ

バラの香なにをぞ想う喜寿の母

風そよぐ鳥がさえずる時とめる

澄みわたる響くさえずり君は誰(※)

季語が出ず坐った倒木桜の木(※)

見つめ合う胸がときめくニオイガメ(※)

道聞かれ薔薇の盛りやいまと知る

マスク取り吸い込んだのは日の光(※)

舞い降りたつがいの鳩に未来みる(※)

シロツメや波間さすらうオナガドリ(※)

生垣や散髪済ませ夏を待つ

風薫るしろつめ畑紋白蝶

飛び逝かん本望なりとミミズの句

青緑やああ青緑や青緑や

また会おう伴走ひととき揚羽蝶

蟻んこやそこのけそこのけお尻が迫る

若き芽に新緑重ねる初夏の宵

出ず月も満ちる心や集う人(※)

若鴉街に降り立つ異邦人

光芒や苔むす大樹初夏の午後

陽を浴びて爪草浜に自由人

手をつなぎ言葉交わさぬ夏子立

(※)季語なし/季節ちがい

 

<感動の佳句>

のび盛り生意気盛り花盛り老い盛りとぞ言はせたきもの 築地正子

 

【もう1冊】

 

【本】西洋音楽史(岡田暁生)

書籍情報

【概要】

“新書で通史”の一環で読了。

著者は、京大人文科学研究所の音楽学者。本著は、18世紀から20世紀初頭までのクラシック音楽を内包する、中世から現代に至る西洋音楽の通史をわかりやすくコンパクトにまとめたありがたい一冊。

【ポイント】

  • “ドレミの音階、和音の音システム、ヴァイオリン・フルート・鍵盤楽器といった楽器、演奏会や楽譜出版制度など、今日の音楽のありようの多くはクラシック時代に形成された。クラシックは私たちが今その中で生きている音楽環境の自明の一部。しからば各時代へどのような視線を向けるべきか”。本書では、クラシック時代はできる限り相対化し、古楽/現代音楽はクラシック時代と関連させることで通史の理解を助ける。
  • 西洋芸術音楽とは、①知的エリート階級(聖職者、貴族)に支えられ、②主にイタリア・フランス・ドイツで発達し、③紙に書かれ設計される、音楽文化、と定義する。
  • 中世(7~14世紀):
  • ルネサンス(15,16世紀):
    • のびやかな旋律と響きのぬくもりは中世になかったもの。作曲家の大量出現(芸術家意識の芽生え)と作品という概念の発生。印刷技術の発達がこの背景(商業的楽譜印刷開始1501年)
    • 16世紀は、中世からルネサンス前半の声楽中心時代からバロックの器楽中心時代への移行期。中心地も、中世フランス、ルネサンス前半フランドルから、バロックにいたるまでイタリアに。
    • 技法上は、滑らかな横の流れから、複数の壮大な柱(和音)へ。和音の発見は不協和音の発見と同義。
    • ルターはカトリックにおけるグレゴリオ聖歌に変わるプロテスタント音楽を希求し、“コラール”が誕生。このコラールがバッハで頂点に達するドイツ・プロテスタント音楽の土台に。
  • バロック(1600-1750頃):
    • 大作曲家(ヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハ(1685-1750))、名曲、鍵盤独奏曲・協奏曲・管弦楽曲・オペラなどのジャンルの登場、三和音、長調/短調区別確立の時代(ちなみに協奏曲は、それまでの無伴奏曲の均質さに対して、器楽と合唱が競いつつ調和する、という意味)。古楽がクラシックになりはじめた時代(一方、交響曲弦楽四重奏ピアノソナタ、リートなどは18世紀後半のウィーン古典派から)。
    • 多産多彩でイメージ収斂は困難だが、絶対王政時代の宮廷音楽はひとつのイメージで、その頂点がオペラ(古代ギリシャ悲劇を復元しようとしたフィレンチェの好事家の試みとして誕生)。劇音楽における音楽による情動表現の誕生。
    • (バッハの影響でバロックといえばフーガというイメージが普及しているが)バロック通奏低音(低音が主導権を握る和音)の時代。低音チェロの力強いうねりが作り出す超越した何かに抱かれる感覚は、旋律主体の音楽からは得られないもの。
    • バロック音楽の理解にあたり、カトリック文化圏とプロテスタント文化圏の二元性理解は不可欠。後者の中心は教会。ルター以来の伝統として、プロテスタントにおいて音楽は神への捧げもの。
  • ウィーン古典派(バッハ逝去1750~ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書1802はひとつの区分):
    • 18世紀中頃からの急速な市民階級の勃興や啓蒙主義運動の同時代現象。発言権を増した中産市民が明快で合理的な考え方を尊び、等身大の人間像を求め、自然な感情発露を尊んだ。
    • 技法的には、対位法を廃止し、旋律と和音伴走だけでできたシンプルな音楽。通奏低音の足かせから解放され、旋律が自由に躍動。
    • 演奏会制度(オペラ上演期間外に宮廷劇場を作曲家に貸し出し)が広がりはじめ、楽譜印刷業が盛んになり、お金を出せば誰もが好きな楽譜を買って自宅で嗜むことができるようになっていった時代。ハイドンはこれらの機会をもっともうまくつかんだ作曲家。交響曲はまさに演奏会に適した楽曲。
    • ソナタ形式古典派音楽時代に生まれたもっとも重要な音楽形式。基本的に提示部・展開部・再現部からなり、提示部で示された二つの主題が、展開し、再現部で対立が解消される。ソナタ形式は、“対立を経て和解に至る”形式。こうした音楽による議論と呼ぶべき形式はそれまでなかった。啓蒙の時代に生まれた形式といえる。
    • モーツァルトは革命以前の人、ハイドンは革命後もしばらく活動していた人、ベートーヴェンは革命後の人。ベートーヴェンは、18世紀までの貴族世界と決定的に縁を切っている点でハイドンモーツァルトと異なる(ハイドンは啓蒙時代のサロンにおける貴族と市民哲学者との対話を連想させるが、ベートーヴェンはしばしば挑戦状を叩きつけるかのよう)。終楽章めがけ昂揚していく様に、ヘーゲルマルクスダーウィンを生んだ19世紀的進歩史観の刻印をみるのはたやすい。
  • ロマン派(19世紀):
  • 後期ロマン派(ワーグナー逝去1884~1914第一次大戦):
  • 第一次大戦以降:
    • 1920年代の若手作曲家の共通項はロマン派への極度な嫌悪。彼らは、機械的なリズム、残響のない乾いた響き、ジャズ・キャバレー音楽といった喧噪を好んだ(新古典主義)。アンチ・ロマン派のカリスマがストラヴィンスキーであり、既知の材料の引用とアレンジのみで曲を書く試み(オリジナリティを重視したロマン派の原理と対立)がなされた(親友のピカソのコラージュと似た技法)。
    • 20世紀後半の3つの音楽史的風景:①前衛音楽の系譜(一種のアングラ音楽への先鋭化)、②巨匠によるクラシック・レパートリーの“演奏”(ただし名盤も出尽くした感あり)、③アングロサクソン系娯楽音楽産業。
    • 我々はいまだに19世紀ロマン派から決して自由になっていない(クラシック・レパートリーの演奏では、五線譜で作曲し、コンサートホールで演奏。現代音楽でもドレミ音階で作られた旋律を感動のために歌う)。

【雑感】

  • 抒情と音楽愛に満ちた、リズムあふれる表現力あふれた文体。学術知に基づきつつ、主観をしっかり主張しつつ、わかりやすくコンパクトにまとめられた、まさに新書としてふさわしい一冊。
  •  読みながら、文中引用される曲をamazonで聞く。便利な世の中。
  •  歴史や技法を知ることで芸術はより身近になる。クラシック時代は独立・断絶した存在ではなく、中世から現代につながる系譜に位置付けられることを理解。
  •  音楽も思想や美術と同期する。欧州発の文化は、大戦による思想的混乱や理性への懐疑で一度断絶されたと改めて感じる。
  •  芸術においてもはや美は求められていない?求められるは、人間の可能性の追求?共感?受け手ひとりひとりに求められる意識、態度が感受において重要性を増している。教養としての芸術が求められる背景はここにあるのかもしれない。
  • 本書は以下で閉じられる。執筆から15年。著者の今の見解を聞いてみたい。

    “諸芸術の中で音楽だけが持つ一種宗教的なオーラは、いまだに消滅してはいない。(中略)宗教を喪失した社会が生み出す感動中毒。神なき時代の宗教的カタルシスの代用品としての音楽の洪水。ここには現代人が抱えるさまざまな精神的危機の兆候が見え隠れしていると、私には思える“

     

【もう1冊】

【映】暗数殺人 (prime video:2021/05/04)

作品情報

【概要・雑感】

  • 蓮實重彥の新書を読み、ひさしぶりに映画でもと思い、ウォッチリストから一作。2019年のキム・テギュン作、チェイサーのキム・ユンスクが刑事役、チュ・ジフンが連続殺人犯役。
  • 韓国クライムサスペンスとして、安定したストーリーと緊張感。経済的に恵まれ、過去に不幸を抱えつつも屈折せず、悪や不幸をひとつでも取り去りたいとする自然体の刑事像は新鮮。殺人犯の姉との会話で見せる、ふとした人懐こい笑顔が印象に残る。証人尋問での陳述は、人の苦しみを想像することの大切さに気付かせる。犯人役のチュ・ジフンは初見。冷徹と粗雑な野蛮が生み出す狂気のバランスは、これまでにないタイプの知能犯ではないか。ラストの衝撃に突出はないものの、よくしあがったサスペンス。

 

【もう1冊】

  • 韓国映画の最前線(ユリイカ20-05)(2020,青土社)⇨サブタイトルは“イ・チャンドンポン・ジュノからキム・ボラまで”。四方田氏の論評がよい。””韓国ニューウェイブとはローカル映画が体現した、世界化の意志の現われ””韓国映画韓国映画史の文脈ものとに認識し、正面から迎え撃つという日本側の批評言語の向上こそ、わたしには緊急の課題であるように思われる”に共感。
  • 見るレッスン 映画史特別講義(蓮實重彥,2020,光文社新書)⇨帯は “他人の好みは気にするな 勝手に見やがれ”。固有名詞でばんばん称賛、酷評する文章は、御大のなせるわざか。(心の動きより)映像の動きを純粋に捉える視点を再認識。ここぞというシーンを見つける見る側の集中の大切さや、量をみないといけないな、とも。