モグラ談

40代のリベラルアーツ

【本】日本の歴史をよみなおす

書籍情報

【概要】

新書「応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 」(呉座勇一,2016,中公新書)が話題になっていたのが影響したか、古書店で日本の歴史分野に触手が伸び、手にした本。これほどの名著と知らなかった。機会があり、半年前に再読。

著者の網野善彦(1928-2004)は、日本中世史、海民史を専門とする歴史家。山梨の地主の末男として生まれ、親戚には政治家、地銀創業者もいる地域の名家。戦後、一時、共産党に入党した経験がある。財団研究員、高校教員を経て、40を手前で大学に職を得る。日本民俗学の大家宮田登とも関係が深く、中沢新一は義理の甥(参考:wikipedeia)

著者は、学生に講義する中で常識ギャップ(苗代もハンセン病も五徳も知らない)に遭遇し、江戸以降に暗黙に常識として引き継がれてきたものが通用しなくなっている変化に気づき、その変化の意味を深く考えてみようと思う。
過去に同様の大転換が起こったのは南北朝動乱期(14世紀)であり(歴史研究の共通見解)、この転換期を考え直すことは、今日の転換の意味を考えるにあたり有用と著者は考える。
こうした問題意識に基づき、本書では文字、貨幣経済、階級と差別、女性の地位、天皇について、その歴史を古文書や絵画史料の解釈などからわかりやすく読み解いていく。後半(続編)は、農業社会日本という固定的日本観をくつがえし、水田中心農業基礎社会としての日本では語りきれない側面を示す。日本は、当初より交易で成立する社会(≠自給自足社会)であり、重農主義重商主義の対立で形成されてきた歴史であるという。

 

【ポイント】

  • 日本の村の3/4は室町時代に出発点を持っている。港に発達した都市(津、泊)も14,5世紀以降に発生。これらは集落の遺跡遺物からも明らか。なぜここで変化が生じたか。社会的分業と生産性向上以外にも理由があるのではないか。
  • 13世紀以降から仮名まじりの文書が増加。片仮名は、神仏と関わりをもち(願事や託宣記など)、口頭で語られたものに残るが、圧倒多数は女性の文字として、その後、私的な文字として普及した平仮名によるもの。漢字は公的な男性の文字として普及。14-15世紀に文書量も平仮名も増加、文字の”品”は低下(ここを境に文字と社会の関わりの大転換)。これはこの時期の町村の増加と町村自治における文字利用の浸透と符合する。なお、文字の浸透や中央と地方での文字の均質性は、文書主義を採用した律令制度の影響がある。
  • 13-14世紀に金属貨幣の本格流通開始(例えばそれ以前の和同開珎は畿内に限られ、呪術的要素(お祓い利用等)を持つもの)。それまでは絹と米。13世紀頃、宋から銅銭が輸入されるも(日宋貿易)、疫病流行源と誤解され普及に至らなかったが、14世紀に向けて流通増加。大量の銅銭輸入に関わらずインフレが生じていないこと、埋蔵銭の存在、徒然草での蓄財を有徳とする記載などから当初は蓄銭されたと推測されるが、15世紀に向け支払・流通機能を発揮。この時期は文字の普及とも符合する(日本の社会の均質化と民族形成の画期といえる)。
  • ある時期まで商業も金融も聖なるもの。”市場”は贈与互酬の人間関係を切り離し、モノとモノとの交換を成立させる世俗縁から切れた聖なる場。金融は農民が借りた種籾に神へのお礼を上乗せ(利稲)して、蔵に戻す仕組み(出挙)から発生。商業・金融は神仏・天皇直属民の神人・供御人の専売。それが15世紀以降、世俗的な金融(利ざやが目的)、商業に変化し、彼らは神仏でなく世俗権力(大名等)に特権保証を求めるようになる。
  • 律令制導入以降、課役賦課のための戸籍登録目的もあり不幸な状態の人々は悲田院、施薬院で救済。10-11世紀には多様かつ大量の人口が京都に流れ、ケガレ(人間と自然の不均衡による畏れ)が増加し、”非人””犬神人”を生むが、著者はこれらは神人・供御人同様、ある種の神性を持ち、畏怖の対象であったと推測。この畏怖が薄れて、忌避・蔑視に置換されていき、13世紀後半の新仏教との思想対立と新仏教の弾圧を経て、差別が定着していったとし、その転換点として14世紀にケガレの観念の大きな社会変化があったとみる。なお、これらは西日本と東日本で異なり、地域により異なる(統計的には前者に多い)。
  • そもそも日本社会は”双系制”。律令に伴い家父長制も輸入し、建前は男性優位の社会に(実態は異なる側面(女性の行商、平安女流文学等))。律令制の弱体化に伴い女性の進出が増加するも、室町・戦国を経て女性の地位は確実に低下、江戸で決定的に。その原因は明示されていないが、金融・商業が当初神性を帯びていたことを考えると、”無縁性”があると認識された女性がこれらの世界に進出したものの、14世紀の世俗化やケガレの観念の変化がこの道を閉ざしていったと推測。
  • 天皇”という称号が制度的に定着するのは天武・持統からというのが古代史の定説。”日本”という国号もこれとセット(これに照らすと、雄略、崇峻、天智までもが”天皇”でなく、聖徳太子は”日本”人でない)。天皇には、公(律令制の頂点)、稲の王(大嘗祭)、神聖王(山民・海民から生贄を受け、特権を与える)の3つの側面。9世紀以降の仏教の祭事への侵入、天慶の乱、内部分裂(大覚寺統持明院統)、鎌倉幕府樹立により権限弱体化。後醍醐の改革の失敗によりこの流れが決定的に。

 

【雑感】

  • 古文書や絵画資料分析という緻密で根気のいる研究手法に脱帽。想像力が求められる世界。古代・中世からの政治・日常の営みが、ある部分では連綿と今日の私たちに影響を与えているという認識の必要性を痛感。
  • 14世紀は、社会システムの基底にあった”神性”が揺らぎ、世俗化が進むことで、大衆社会に転換されていく時期であったと理解。その背景に人口の増加があり(684万人(1150年)→1227万人(1600年)(鬼頭宏,1996))、社会分業や生産性向上とあいまって実用への希求があったのではないか。印刷技術と翻訳が聖書を大衆化させ、プロテスタンティズムを生み、教会権力を相対化させながらも、信仰心がむしろ社会システムを規定してきた西洋を考えるに対照的といえるか。
  • 神性への畏怖の減少や人口増・町村増加が大転換の背景とするなら、科学技術至上化や人口減・自治体消滅危機化の現代は、大転換の時代といえるのではないか。ではどうなる?もう神には戻れない。求められる虚構とはなにか。
  • 室町以前の認識が、現代でも顔を出していると捉えると面白い。漢字文書は公的で口頭は神的だったことが自白重視の捜査に、蓄財が有徳だったことが投資より貯蓄の財産管理に、など。

 

【もう1冊】