モグラ談

40代のリベラルアーツ

【映】友だちのパパが好き(山内ケンジ)

  • talksessionyandsさんの紹介をみて興味惹かれて鑑賞。いやぁ、いい映画でした(感謝)。山内ケンジ監督・脚本、2015年、105分。山内氏、CMの人と思ってたが、映画も作っていたことを知る。
  • 大学生の娘と両親の3人家族。不幸とまではいえないが、幸せとはいえない。娘の友人マヤが父親へ恋慕を告げ楔となる。社会的関係性など目にせず迫ってくる。父親の愛人、妻の不倫、マヤのストーカーが絡み合い終結へ・・・。
  • たんたんとごくごく自然に物語は進むが、なぜか見ていて終始どきどきする。冒頭で、この映画にハッピーエンドはないのだろうと推測させ、むしろその壊れ方を想像させていくような。どのシーンがドミノを倒すのかはらはらして見ていく、といったような。
  • 娘の友人マヤ、いなそうでいるような気がする。大きな口元、赤のセーターが狂気をちらつかせるが、異様とまでは思わない。空気は読めるが、自分のことしか考えていない。迷惑を生むが、そこまで悪いことでもない。恋は常にそう描かれてきた。むしろ、覚悟は決まってる。
  • 状況設定、一見なさそうと思えるが、ありえないとも思えない。フィクションとしては特別ではないが、日常ではそうはありそうにない、という領域を描く映像世界。“半階”ずれた世界とでもいうか。
  • 相手の事情よりルールをおしつけてくる人たち。飛び込み自殺を止めて、相手を気遣うのではなく、電車遅延による社会的損害を力説する人、職場の女性に迫る同僚に執拗にセクハラを追及する人。言ってることは間違ってない、でも違和感ある人として描かれる。ルールに支配される人、目の前の個より”全体”という想像の世界に支配される人という恐怖。この人たち、途端に人間に見えなくなってくる。このルールがイデオロギーに置き換えられたときを想像することによる恐怖。
  • 音楽に一切気づかないことに気づく。中盤で数秒の効果音、エンドロールのシューマンのほかなかったのでは。これが日常感を高めていたのかも。
  • 終盤の夜の公園のシーン。ここで悲劇として、市井のロミオとジュリエットとして終えることもできた。でもそうしなかった製作に敬意。
  • まったく異なるが、不自然がありつつもリアリティある家庭に家族ゲーム(1983)、粗さを上回る新鮮な衝撃にブレアウィッチ(1999)をなぜか想起。
  • 冒頭の予想を裏切る結末。家庭からの旅立ち、イニシエーションを経た二人。

“いままで3人の人と付き合ったけど、こんっっなに好きになったことないです”

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【映】神々の深き欲望(今村昌平)

  • ウォッチリストから一作。今村昌平監督、三國連太郎主演、1968年、175分。
  • 今村監督といえば、“楢山節考”と“うなぎ”でパルムドール。いずれも授賞式に出席せず、楢山では戦メリの下馬評を覆し話題になった。
  • 土俗の習慣で営まれる南の孤島「くらげ島」。神聖なる神の田を穢したとして自由を奪われる主人公、神事を司る一家と巫女、島を抜け出したい青年、資本の象徴として東京から派遣される技師。それぞれの生と性が交錯する。神話にある近親による国づくりを重ねる。
  • “今村は「豚と軍艦」(1961)や「にっぽん昆虫記」(1963)で、生命力の起源としての女性の大地性を肯定する世界観を固めると、しだいに近代主義のなかで日本人が喪失した前近代の土俗的な情念の世界に魅惑されるようになった”(「日本映画史100年」四方田)。ふむふむ、観念はわかった。
  • オープニングからゆっくりと進む。冒頭、“この映画、いったいなんなんだ”と思う。監督が撮りたいように撮ったと感じる。いまの映画は高度に定型化、標準化された世界での選択になっているのかもしれないとも。
  • セリフが聞き取りづらく、状況設定や人物相関も理解できるまで時間がかかる。ウミヘビ、ナマコ、タコ、トカゲといった粘膜感は、ウナギに通じる監督嗜好のモチーフか。
  • 三國連太郎の粗野感、多襄丸の三船敏郎の処世感を土着感に入れ替えた雰囲気。夕日を背景に、息子役の河原崎長一郎と岩場を歩く姿、美しかった。

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【本】大いなる遺産(C.ディケンズ、加賀山卓朗訳)

  • 海外古典(?)文学に手が伸びる春。なんとなくディケンズ(1812-1870)。原題は、Great Expectation。新潮文庫のstar classicsシリーズ。落着きある装丁、質感もよいし、文字も読みやすい。加賀山氏の翻訳、登場人物の人柄がしみじみはいりこんできていいね。
  • 両親を亡くし姉夫婦に育てられるピップ。姉や夫の親戚に虐げられる生活。鍛冶職人のジョーだけが味方。ある日、地元の富豪に呼ばれる。心を乱したミス・ハヴィシャムと美しい養女エステラと過ごす時間。ある日、出どころ不明の遺産が舞い込む。ロンドンに向かい、念願の紳士への一歩を踏み出す・・・。
  • この遺産はどこから、なんのためにきたのか。物語の展開にどうかかわってくるのか。冒頭示される子供時代の出来事はどこで合流するのか。エステラへの思慕はどう展開していくのか・・・。興味を惹きつけるストーリーを支えに、田舎の鍛冶職人見習いからロンドンの紳士になることを目指す、主人公の自意識の揺れが描かれる。
  • 登場人物がまたよい。義兄のジョー、幼馴染のビディの純朴で揺るがない温かさ、冷淡でタフで弱点のみつからない弁護士ジャガーズ、善良で友愛に満ちたハーバートとウェミック。ひとつひとつのセリフ、人物描写がページをめくらせる。さまざまなやさしさに守られながらピップの物語は進む。
  • 遺産の出どころが明らかになったところから物語は急展開する。活劇となり、さまざまな伏線が回収されていく。感情移入し、手に汗握る。
  • 映画(マイク・ニューウェル監督、2013)も観てみた。原作のプレッシャーに耐え切れなかった感なきにしもあらず。ハリウッド版もあるようだが、本作については、あえて原作にとどめておく、という選択肢もあったかなと思う。
  • 読書中、BGMがハーモナイズする。ジョーとビディとの別れ(リスト:愛の夢)、マグウィッチとの最後(ラフマニノフ:ピアノ協奏曲2)、エステラとの再会(ショパンエチュード)。感動が深まった偶然。全員、ロマン派というのも偶然。

“もしまたおれに会いたくなったら、今度は鍛冶場の窓から頭を突っこんで、鍛冶屋のジョーをみてくれな”

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【映】マティアス&マキシム(グザヴィエ・ドラン)

  • ドラン作品がみたいと思い新作。兼主演、120分、2019年、カナダ。
  • 友人の妹の自主製作映画に出演し、ディープキスをすることになったマットとマックス。それを機に二人の感情は揺らいでいく。マックスが海外に旅立つまでの2週間、呼びさまされた感情、過ぎていく時間。
  • ドラン作品、なにごとも起こらない時間にも惹きこまれる。ストーリーではない物語。主人公の情感の流れで惹きつける。主人公以外の登場人物も、それぞれがもつやさしさ、大切なものをさりげなく表現する。人が持つ愛すべきもの。
  • 撮影の翌日、早朝、マットは湖畔にでる。湖に飛び込む。われを失うほど泳ぐ。心に芽生えたなにかをおさえきれないように、それが望ましいものであることを確認するかのように。
  • 衝き動かされ、ぶつけあう。求める自分、求めている関係を理解したいと願う。どうしてよいのかわからない。道筋が用意されているわけではない。自分の情動に向き合ってわかる、相対して向き合っていくことしかないことを。
  • ドラン監督、われらがミドルエイジの作品撮らないかな。

“この映画はある意味で印象派的であって、同時に表現主義的なわけ。わかるかな?”

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【本】ニーチェ入門(清水真木)

  • 読んでこなかったニーチェ(1844-1900)。“ツァラトゥストラ”を手にするには、木を見て森を見落としそうな気がして入門書。入門書いろいろあれど、本書は、ニーチェの生涯、キーワード解説、著作解題ととてもよいバランス。ニーチェ自身の病の経験から、思索を読み解く筋道も面白い。
  • 平易な記述、史実や定説は幅広く記載しながら、主張にオリジナリティ、というのがよい。著者は、哲学専攻の教授。博論がニーチェ。祖父は清水幾多郎。
  • その生涯を、様々な側面から通説に照らし示す。哲学者としての、ドイツ人としての、牧師の息子としての、文献学者としての、ヴァーグナー主義者としての、狂人としての、病人としての・・・。いずれも思索を読み解く背景につながる。とくに古典文献学、とくに“ギリシャ”哲学研究者としての卓越した業績、出自は頭に留めておきたいと思った(悲劇を糧とする気質(アポロン的))。
  • ニーチェの生涯をつぶさに眺めた結果、“ニーチェの思想は健康と病気の概念を手がかりとして理解されるべき”との仮説に至る。
  • “病人とは、自分の身体に負荷がかけられることを避け、身体を休息させ保護しようとする人間である“というニーチェの洞察から、「本能や知性が健康な者は知性に負荷をかけることを欲する→知性への負荷とは生存に敵対的に作用するペシミスティックな認識→こうした認識によって生存への意欲が損なわれることなく却ってこれを生きるための刺激として欲求する強さが”強者“の強さ(ディオニュソス的ペシミズム)」と論を展開。
  • そして、もっともペシミズムな認識とは、“すべての事象が同一の順序に従って繰り返し永遠に生起する。すなわち、生きることには夢も希望もなく、努力の意味もない(等しきものの永劫回帰)”。永劫回帰は、もっとも強い人間(超人)を識別する試金石とする。
  • よって、逆に本能が病んでるものは、慰めや希望を与える、すがることのできる認識を求める。ロマン主義プラトニズム、キリスト教・・・。
  • この弱者の道徳(奴隷道徳)は、弱者の強者に対するルサンチマン(怨恨)に支えられる。奴隷道徳は、徳(卓越性)に対する憎悪を浸透させ、人間の画一性と矮小化を生み、超人の反対物である“末人”を生む。キリスト教は“末人”を生み、末人によりキリスト教が持つ卓越性や神的性質に対する憎悪が生まれ、逆説的に末人に滅ぼされる、とする(神は死んだ)。
  • いくつかの備忘。
    • 20世紀思想にニーチェが与えた領域。生の哲学実存主義現象学フランクフルト学派構造主義・・・
    • “精神の自由とは、真理であることを標榜するすべての価値から自由であるとともに、万人が認める真理など存在せず、すべては虚偽という洞察に基づき、自らの生活を導く価値を妄想として産出する自由“
    • “悲劇的認識”の核。生存には前提とする価値が必要→しかしすべての価値は虚偽→妄想と知りながら欲求せざるを得ない(何ものも真ではない、すべては許されている)
  • この“超人観”、仏教の“無常観”に大きく重なると感じた。此岸の現実を見定め、(ここで停止せずに)これと対峙し続けていく、ということが強さ、という見立てはとても共感のいくもの。支えるものがなにもない“ちゅうぶらりんな状況”に対峙“し続けて”いく、というのが“寛解”の時代には必要で、そこではたえざる対話が必要な時代、と発想が広がっていく。
  • ちくま学芸文庫いいね

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【アニメ】つみきのいえ(加藤久仁生)

  • 娘がまだ小さかったころ、よく読み聞かせした一冊。アニメーションを発見。アニメが先だったらしい。12分のheartful piece。
  • 読み聞かせでは、登場人物や情景への想像にひたっていった。アニメでは、最初は観察的に、だんだん自分に重ね、思い出にいざなわれていく感じ。読書とアニメで脳内での広がり方が異なることに気づく。
  • 温かい描線、色調はそのまま。時の流れもそのまま。
  • 水面の上昇とともに、階を積み重ねてきた我が家。いまはひとり。ふとしたきっかけで下層階に潜っていく。それぞれのフロアで想起する思い出。つみかさねてきた人生をひとつひとつさかのぼっていく。記憶の深層におりていく。
  • 亡き妻との思い出、娘の成長。おだやかな一生、しみじみと確かめる。生きること、老いること、ゆったりと死を受け入れていくこと。死ぬまでは生きる、ということ。
  • 記憶と思い出がいまをつくる、いまが記憶と思い出になっていく。幸せな人生。

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【本】ソ連史(松戸清裕)

  • 理解が求められる隣国。20世紀以降の点でしか教科書に登場しない国、農奴社会主義革命・シベリア・冷戦・ピョートル一世・ドストエフスキーレーニンチョムスキーシャガールガガーリンボルシチくらいしか思いつけない国。いまになって、よくこれだけの理解で生きてきたものだと反省。
  • いざ入門書を探すと、なかなかない。2011年発刊の本書は、ロシア革命からペレストロイカまでの、政局を中心としたソ連史をたんたんと記述。コンパクトな新書でありがたいが、ロシア史もかるくおさらいしてくれたら親切だった。
  • 一般に流布するソ連のイメージを、①冷戦の敵役・悪役で敗北した、②共産主義建設の実験に失敗し国民を犠牲にした、③民意を無視した全体主義国家、と考え、それとは異なる側面を示すことを目的とする。
  • これに対し、①指導部も西側との争いを望んでいたわけではなかった、②指導部に限らず多くの人々は共産主義建設が国民を幸せにすると本気で信じ、本気で信奉した国民が少なからずいた、③ソ連史の大部分は共産党一党支配で政権選択の可能性はなかったが、党と政権は民意と不満をくみ取ろうと努力していた、といった点を史実・歴史解釈に基づき主張
  • スターリンの大テロル、繰り返しおきる百万人単位の飢饉、第二次大戦での圧倒的死者数、計画と目標を混同し量をみて質をないがしろにする計画経済、スターリン個人を批判するも主義・システムは是認するフルシチョフ、募る西側への不信、国内はぼろぼろだが東の盟主としてふるまわざる得ない国際情勢・・・。この間の西側諸国の経済成長に照らすと、停滞・閉塞感につつまれ続けてきた印象を受けた。
  • ソヴェト制度はもともと議会制や権力分立を否定し、立法と行政を統合して大衆の統制下におこうとしたもの、とのこと。カントが“永遠平和のために”でいうところの、立法と執行が分離しないことがもたらす不正は、見事にソ連において顕在化した、ともいえる。
  • なぜこれほどまでの粛清、飢饉が起き、生活条件は大きく劣後したままなのに、国民は指導部に従い、一部は信奉するといったことがおきるのだろうか。共通の敵に対する結束意識?覇権の中心である欧州への対抗意識と羨望が入り混じった自負心?凍土と農奴制が育んだ諦めの世界観が生み出した固執?安定と引き換えに体制への従順がなされてきた70年代の歴史(暗黙の社会契約)?なにかしらの背景に科学的無神論の影響?・・・
  • まったく想像がつかないが、少なくとも想像すらつかないなにかによって、結束し、突き動かされる国民性、というようなものはあるのかもしれないという推測を持った。

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