モグラ談

40代のリベラルアーツ

【本】日本の思想

書籍情報

【概要】

先日お会いした方が丸山眞男氏を指導教官とされていたことを知り、再読。

著者の丸山眞男(1914-1996)は日本の思想家。「丸山政治学」と呼ばれ、学界だけでなくオピニオンリーダーとしての影響力も有した。東大助手に採用したのは南原繁吉野源三郎と深い親交。特高による拘留、二度の従軍経験と被爆経験を持つ。影響を与えた知識人多数。福沢諭吉研究者としても著名。英仏独語訳も出版され、日本の政治思想の海外発信に貢献。本書はミリオンセラーとして学生必読の書とされる。(参考:Wikipedia

著者は、「自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当る思想的伝統はわが国には形成されなかった」との課題認識に立ち、これがなされてきた欧州との対比も意識しながら、開国以降の政治、組織、文学、マスコミなどを、よくも悪くも成立せしめている思想的構造を探る。

明治から昭和初期の思想界や社会情勢の理解がないと、深読みは難しい印象を受けたが、課題認識は今日の日本社会にも有益で、読み慣れてくると文体が的確で心地よい。

 

【ポイント】

  • 日本では、生活・文化に根ざした様々な観念(無常観や義理など)を思想として抽出し、その内部構造を解明することはおろか、これらと他の諸観念との関係やこれらが次の時代にどう変容していくかについて明らかにしてこなかった。また、共通の知性に基づき対話・対立を通じて新たな発展を生み出すことが少ないし、多くの論争は前代の論争の結果を受け継がずに一からなされる。これらの背景には、「自己を認識できる座標軸となる思想的伝統が日本で形成されていない」という見据えなければいけない現実がある。
  • 仏教、儒教シャーマニズム、西欧的なものなど、日本の思考の発想の要素的断片は見いだせるが、これらは雑居し、相互の論理的関係の整理がなされないため、いわゆる“日本の伝統思想”として提示できていない。こうしたものがあれば、開国後、これほどたわいものなく“欧化”されることはなかった。むしろ帝国憲法において、日本の基軸として天皇を据えた背景には、(欧州近代国家に比して)日本には基軸として作用する伝統が存在しない、という伊藤博文の認識があった。
  • 座標軸がないため、どこかにあった思想や観念を配置転換して提示することが自然に行われる(はたからみると甚だ恣意的にみえる)。様々な思想・観念を無限に包容するのが日本の思想の特徴だが、明治のキリスト教と大正のマルクス主義は、こうした精神的雑居性を否認するがゆえに、日本の思想的「寛容」にとって異質なものとなった。とくにマルクス主義は、近代合理主義理論、キリスト教良心、近代科学の実験操作精神を前提とするが、これらの世界観を一手に引き受けられるほど日本の思想基盤は成熟していなかった。
  • 一方で、座標軸がない中で、伝統的宗教は、新たに流入したイデオロギーと対決し、その伝統を再生させる役割を果たせなかったため、新思想は無秩序に埋積され、近代人の精神的雑居性は甚だしくなった。
  • 急速な近代化が実現した背景には、自主的特権に依拠する封建的抵抗勢力(貴族、自治都市、特権ギルド、寺院等)が脆かったこと、天皇制官僚機構を末端の共同体までリンクさせる自治制という仕組みと、これを成立させる地主支配、家族国家間の存在があった。
  • 第一次大戦後の労働・社会運動やマルクス主義共産主義の流れは、政治の関心を対外的発展から国内社会の統治に移行させ、これがそれまで相互に孤立していた政治、思想、文学の関係を変化させた。とくに文学は、新たに登場した「社会」との関連で自分の居場所を設定する必要に迫られた。必然、マルクス主義がその流れに大きな影響を与えたが、欧州の哲学思想の由緒と来歴への理解が乏しい中、これを咀嚼しきれず、混乱した。
  • 人は相手や集団、制度、民族などに対しイメージを作るが、これは環境変化からの衝撃を和らげるための潤滑油。一方、社会が複雑となり、日常の手の届かない世界が増加し、イメージに基づく行動が続けられることで、この潤滑油が固形化して厚い壁となり、イメージが新しい現実を作り出すようになった(「私はマルクス主義者ではない」(マルクス談))。
  • 日本の社会や文化の型を、「ササラ(食器洗浄器具や楽器として用いられる、竹の先を細かく裂き、根っこを束ねたもの)型」と「タコツボ型」に分けて捉える。欧州では、19世紀前半に包括的・総合的学問(ササラの根っこの部分)がなされ、その後、個別領域(ササラの先の部分)に分化してきたが、日本の近代化は、この根っこの部分を切り捨て、先っぽ部分のみ受け入れた。根っこの共有がないので、研究者同士は、共通の文化や知性でつながっておらず、連帯意識や内面的交流が乏しく、共通基盤に立った論争ができない。同種の構図は様々な組織で見られるが、これが共通の国益意識形成を妨げる。戦前の日本は天皇制と教育を通じた臣民意識がタコツボ組織同士をつないだ。これがほぐれた戦後、マスコミの果たす役割は大きいが、マスコミ自身、タコツボ化している。
  • タコツボ型であることの自覚が必要。①組織内で通用している言葉・イメージが組織外でどれだけ通用するかの反省が欠けがちで、ともすると自己正当化につながる、②相互連携が弱いので、ある組織の変化がダイナミックに他に波及しないどころか、既存の組織間の連帯性の棄損や、気づけば孤立する可能性がある(変化が全体成長につながらない)、がその理由。
  • ここから、今後は、「全体状況を鳥瞰しモンタージュ的(原理原則からではなく現実のイメージから)合成する技法や思考法の案出」や「組織内のコトバの沈殿を打破し、自主的なコミュニケーションの幅を広げていくこと」が、社会科学の当面の問題。
  • 「である」論理・価値から、「する」論理・価値に対する問いが重要性を増している(自由は置物のようにそこに「ある」のではなく、現実の行使(「する」)によってのみ守られる)。「プディングの味は食べてみなければわからない」に即せば、味が内在化しているとするのが「である」論理、美味かどうか都度検証されるべきとするのが「する」論理。「である」論理は、よい制度からは必然的に善事が生まれるという思考パターンの固定化をもたらし、これは誤認であるばかりか危険。日本は、自分の生活と実践から制度づくりをした経験に乏しく、できあがったものを受け入れてきた経緯から、「である」論理による思考停止が生じやすい土壌。

 

【雑感】

  • 明治以降、欧州から持ち込まれた思想・文化・制度などが、いかに日本で受容され、いかに日本のそれらに影響を与えたかについての考察の書と理解。「ササラの根っこ」を理解せずに「さきっぽ」のみを受容することが生む混乱や、そもそも「さきっぽ」を解釈し、対立からこれを昇華させることのできる”思想的伝統の不在”に対する問題認識を論調の基底としている。和魂洋才、タコツボ論は耳にすることがあったが、その本質的背景の考察はとても理解をすっきりさせてくれた。こうした骨太の思想書を近年目にしないのは、時代のせいか、薄学のせいか、学界の弱さか。
  • 明治以降の近代国家への急成長の一因が、「ササラの根っこ」に固執しない、躊躇なき「さきっぽ」の吸収にあったとすれば、思想的伝統の不在をむしろ強みと捉えた国家戦略とも結果的には捉えられるか。少なくとも明治の指導層にはその自覚があったうえでの選択肢なき選択だったのではないか。
  • 思想的伝統の不在状況は今日に至っていると思うが、そもそも今後、これを確立すべきか。すべきとすれば、その主体・単位は国家であるべきか、いかなるテーゼとなるか。国民国家の枠組みを超えた主体が影響力を増し、ネットを通じ世界規模での大衆化が進み、あわせて分断が生まれ、一方で技術が社会を瞬時かつ非連続的に変化させる社会で、どのような思想的伝統が可能か。
  • ビジネスでは価値の源泉が直接的利便から共感や目的(Purpose)にシフトする傾向。組織論においても、存在目的の共有とこれに基づく個々人の自由な開花(セルフマネジメント)が注目される潮流。この根っこの目的の設定において、その淵源に思想を据えるなら、その思想の出自を自覚的に反省してみることの大切さを本書は気づかせてくれた。

 

【もう1冊】

  • タテ社会の人間関係(中根千枝,1967(初版),講談社現代新書)⇨日本の社会構造を分析し、社会集団の構成原理として、“資格と場”の2つに着目し、日本社会は“場”を強調する“タテ社会”とする。組織論の古典的名著。ササラ・タコツボ論に通じる視点が、同じく1960年代に登場したのは偶然か。
  • 人間の建設小林秀雄岡潔,2010,新潮文庫)⇨20世紀の日本を代表する批評家と数学者による対談の文庫化。小林の思想は「日本の思想」において丸山に引用・論評されている。小林の博識もさることながら、岡の思考的真剣勝負の人生を感じさせる厳しい洞察は迫力。
  • 福沢諭吉と朝鮮問題(月脚達彦,2014,東京大学出版会)⇨福沢研究でも高い功績を残した丸山。その福沢の対東アジア認識を緻密に分析。学術書なので相当入り込む。
  • 君たちはどう生きるか吉野源三郎,1982(底本は1937),岩波文庫)⇨15歳のコペル君の精神的成長を描きながら、社会の構造や関係性の在り方に言及。丸山は吉野と親交が深かった。巻末の回想で丸山が寄稿。