モグラ談

40代のリベラルアーツ

【美】沖縄の美(日本民藝館)

  • なかなかタイミングがあわなかった民藝館。旧宗悦邸の西館を拝観できる水曜日に訪問。
  • 民藝の父、柳宗悦(1889-1961)。民衆的工芸品、民衆の日常品に“健康な美”“正常の美”が宿っていることを見出す。倉敷紡績二代目社長大原孫三郎の寄付を受け、念願の美術館を自宅の向かいに1936年開設。本館は都指定文化財、工芸品17,000点所蔵。
  • 旧邸の西館。立派な梁、凛とした空気。広々とした書斎、おおぶりな机、その後ろにソファ、壁面を取り囲む書棚。
  • 本館の展示。この日は復帰50周年記念の“沖縄の美”。柳は、計4回にわたり調査・蒐集に訪問。曰く、“私たちのように伝統的な工藝品を求めて各地を歩いている者には、琉球の存在は誠に奇跡のようなものであった” 。紅型、芭蕉や苧麻(ちょま)などの特色ある縞や絣の織物、陶器、漆器などを展示。
  • 展示にはほぼ解説なし。あってもよいのでは、と思ったところ、パンフレットに、“当館では品物の説明書きを意識的に少なくしてますが、それは知識で物を見るのではなく、直観の力で見ることが何よりも肝要であるという、柳の見識によるものです。”とのこと。
  • 館内を歩きながら、必要なものを必要なだけ整えることにより、不必要はその場にいづらくなるのかななどと、用の美の自浄作用のようなものを感じつつ、用の美とともにする生活を通じ、ある種の意識の整いのようなものが生まれ、それが新たな美の発想の源になっていくのかな、などと思料。
  • 民藝という運動は、日用に美を見出すという価値観を、意味と輪郭のあるものとして、あるいは標準的なものとして、広く日本人に意識させることに成功したのかな、と思う。柳が関わった“白樺派”が、ポスト印象派の画家とロダンを日本に紹介し、これが日本人の西洋絵画観に影響を与えたといわれるように、柳宗悦という人は、見出し、意味を付し、大衆の意識と慣習にビルドインしていく達人なのかもしれない。

”私の信条では、将来造形美の問題は必ずや工藝を中心とするに至ると思うのです。”(民藝とは何か、1941)

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